雪国出身の自分は高校時代の冬の朝、自転車に乗って汗をダラダラ垂らしながら遅刻してはいけないと必死に雪道の上でペダルを漕ぎ続けていた。
無論雪道でしてはいけない危険なこと。しかし周りに誰もいないのならばと周囲を確認してから必死に漕いでいた。
ズササと先人が通って硬くなった雪を切り裂きながら無理やり車輪で再開拓する。朝食に出た目玉焼きのぱさつき気にせずもっと素早く食べていれば。そう後悔しながら雪をどんどん勢いのまま蹴散らしていく。
しかし大通りに差し掛かる手前の道で盛大に滑り思っきり脇に積み上がった雪へ全身が飛んだ。嘘みたいな一瞬の出来事。すぐさまヘルメットの隙間に入る雪を振り払い立ち上がってからいったん状況を振り返りふと思った。
すごい恥ずかしい出来事だったけどあんな見事な吹っ飛びがあったことを誰にも知られないのは悲しい。身体の跡がわからないほど崩れ落ちた雪山をみてそんなことを遅刻を忘れてのんきに思ってしまった。
なんか悔しい。何かがあったんだと存在を残したい。謎の悔しさを解消するために恐ろしく馬鹿らしいが雪山へ身体と自転車の跡が残るようにわざと身体をもう一度倒した。
よし、これで一件落着。これで存在を残して心残りなく再び登校できる。そう思いペダルに足をかけると、こちらをものすごい目で見つめている親子と目が合った。
目玉焼きをもっと素早く食べていれば。
産まれてからわずか3年で大人たちに交じり
役者というある種の嘘を仕事としてきた彼
特殊な環境で育った彼の精神は大丈夫なのだろうか?
そんな風に勝手ながら思っていたが杞憂だったようだ
今では背も伸びて夢である獣医師を目指しているらしい
少し前までは皆「くん」呼びだったがこれからは
尊敬を込めて彼には「さん」を付けるべきだろう
おおどうか立派な彼の未来に安寧を
そしてブックオフの未来にも安泰を
ー心の健康ー
上手くいかなくたっていい。挑戦することが大切。
謙虚な気持ちで挑戦することがいつか成功に繋がるから。
そんな心持ちのままミッフィー狙いのガチャガチャを回すと4回連続でオレンジの豚が出てきてブチギレたことがある。
いや上手くいけよ。
卒業旅行で行ったベトナムでの散々な思い出。レストランで何気なく出された水を飲んで少し経つとお腹がぐるぐると高速回転して気持ち悪くなったので、お楽しみの夜はこれからというタイミングで皆と別れて独りでホテルに直行することになった。
ホテルのあるホーチミンでは路上に巨大なゴミ箱がありその上に大量のゴミがむき出しで雑に積み上げられている。そして昼夜問わず大量のバイクがイナゴのように群れとんでもない量の排気ガスを湿っぽい街へまき散らしている。
高温多湿に前が霞む排気ガスと強烈なゴミ臭。そこへ路上で売られたドリアンも加わりマスクを貫通し鼻が崩壊した。しかもどこもかしこも夜市が開かれ常に人混みの中にしかいれずなかなかホテルまでたどり着けない。
気が虚ろになりながらもなんとか隙間を縫うように歩いていくと目の前になんの病気があるかわからない野犬がいきなり現れたりして泣きそうになった。卒業の記念になんでお金を払って苦手な犬と遭遇しなきゃいけないんだろう。
それからは犬という即死トラップに怯えてつつ地道に歩いていった。今日なんとか寝て回復すれば明日の朝にはこの国から脱出できる。今日さえ乗り越えればなんとかなる。その思いで必死に汚くなったサンダルをさらに酷使した。
しばらくすると少し先にホテルが見えてきた。目標を前に吐き気も鼻水も止まらない。流れる汗も足も止まらない。今日だけ、今日だけ耐えればいける。あと少しだからどうか。今だけはベトナムの知らない神にも祈る。だから、
胃腸よ鼻よ、頼むからどうか今は耐えてくれ。
………
結局ホテルから帰国までずっとゲロゲロのズビズビでした。
生まれの環境と遺伝子と才能。操作不能の運要素によって人生は最初から決まっていると捉える人は少なくない。
この考え方を仮に運第一主義とするならば、努力第一主義の人もいてその両者の考え方は対立している。
自分の意志で操作可能な努力があるのだからそれから逃げるのは自己責任という主義と、努力できるのも含めて才能で結局すべては運であり仕方がないという主義。
運と努力(非運)。しかしこれらは対立こそしているものの、人の生に付きまとう不条理に対してのアプローチの違いで同じ問題へ目を向けていることには変わりないと思う。
すべては運だと嘆く人もその根底には何かを変えたい頑張りたいという意志がある。すべては努力次第だという人も根底にはそうでなければならないという重圧がある。
運第一主義者はもちろん努力第一主義者もどうしようもないと思える不条理を少なくとも認識はしていて、それに向けて両者とも各々の切実な思いを抱いている。
だからこそ曖昧かもしれないがどちらの主義にも一貫せずその都度考えを反復するような、いわゆる中庸的な姿勢が不条理に対抗する一つの手段だと考えられる。
運に委ねながら努力する。努力に疲れたらいったん休む。心が辛くなったら運のせいにしてみる。楽になったらまた努力する。また休んで努力してそれを続けて。
余りにも地味なその姿勢が不条理への反抗だと思う。
たとえ運命論が正しいとしても、運命を信じるかどうかは主観的には定まっていないのだから曖昧でもいいだろう。
たまに運命を信じて、たまに自由意志を信じて努力する。