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生まれの環境と遺伝子と才能。操作不能の運要素によって人生は最初から決まっていると捉える人は少なくない。

この考え方を仮に運第一主義とするならば、努力第一主義の人もいてその両者の考え方は対立している。

自分の意志で操作可能な努力があるのだからそれから逃げるのは自己責任という主義と、努力できるのも含めて才能で結局すべては運であり仕方がないという主義。

運と努力(非運)。しかしこれらは対立こそしているものの、人の生に付きまとう不条理に対してのアプローチの違いで同じ問題へ目を向けていることには変わりないと思う。

すべては運だと嘆く人もその根底には何かを変えたい頑張りたいという意志がある。すべては努力次第だという人も根底にはそうでなければならないという重圧がある。

運第一主義者はもちろん努力第一主義者もどうしようもないと思える不条理を少なくとも認識はしていて、それに向けて両者とも各々の切実な思いを抱いている。

だからこそ曖昧かもしれないがどちらの主義にも一貫せずその都度考えを反復するような、いわゆる中庸的な姿勢が不条理に対抗する一つの手段だと考えられる。

運に委ねながら努力する。努力に疲れたらいったん休む。心が辛くなったら運のせいにしてみる。楽になったらまた努力する。また休んで努力してそれを続けて。

余りにも地味なその姿勢が不条理への反抗だと思う。

たとえ運命論が正しいとしても、運命を信じるかどうかは主観的には定まっていないのだから曖昧でもいいだろう。

たまに運命を信じて、たまに自由意志を信じて努力する。

8/7/2024, 11:48:24 PM