僕には明るい未来が待っている。
いつのまにか前よりも涼しくなった
額の端が僕にそう物語っているから。
だけど僕はそれとは別のもうひとつ物語を今から始める。
明るい未来から逃れるため、端が頭頂部に繋がる前に。
クリニックの予約は18時にもう取れている。
ミノキシジルとフィナステリドが僕の物語を作り出す。
どこまでも続く晴れた空の色を設定した
誰かの好みは絶対ブルベという名推理
始まりはいつも鼻に付く文章になる。そして好き勝手に書き進めた後で語調を調整しようとするとなんだか堅苦しくて偉そうな文章になるのである。まぁそれを打開しようとして極端に口語で軽くしようとするんだけど存在しない馴れ馴れしい誰かを演じることになるのが私なんだよね。
んで語数をけずってひらがなおおめにしてシンプルな文章に整えていく。だけど自分の中の精確さを求めてしまって物足りず足していくアクセサリーのように余計な比喩を使ってしまう。それで困ったらこうやって自己言及的なメタ表現を使ってさも達観しているかのように見せる。
飛び出す。縦へ。平面の文章。触れる。他人の目。鬱陶しい。短く。作る。リズム。短文の羅列。ただそれだけ。
読んでいて恥ずかしいものばかり書いてしまう。そして今もそう。時制を使ってライブ感を出す。これもまたメタ的だ。こうやって何回も俯瞰で見て自己言及する思考巡回を他人は文章を作るときに何回するのだろう?そもそも文章は出だしが肝心なのか?
ねぇ、みんな始まりはいつもどう書いている?
忘れたいことは忘れたくても忘れられない。
忘れたいことがあることすら忘れたときに忘れる。
その逆もまた然り。
ネットでたまたま見たどうでもいい知識とかは
案外忘れていなかったりして変に溜まっている。
例えば「本質的に副産物である状態」とか。
へーこんな概念もあるんだと反応したのも憶えている。
眠ろうとして眠れない、無心を目指すが考えてしまう。
こういうもどかしい状態に関連するのがこの概念だ。
何かをしている内に眠くなったり考えるのを止める。
そうやって求めなければ訪れてくれる"おまけ"的な状態を
表したのが「本質的に副産物である状態」だ。
忘却に睡眠に無心。これらの大切なものも"おまけ"。
人の安らぎに必要なものがそこには詰まっている。
しかし"おまけ"は偶然性と無意識によって訪れるもので
思うに人にとってそれは遠い存在だ。
必然性を求めるし何かを求めるときには意識的になる。
人の性質は"おまけ"とすこぶる相性が悪い。
いったいこのミスマッチはどこからくるのだろう?
社会形態と人体機能の乖離?だとしたらその転換期は?
こうやってどうでもいいことを考えていく内に
僕は忘れてはいけないことを忘れてしまっていた。
カレーってこんなに黒かったっけ?
くっそ暇だったから空にある点に名前を付けた
神話オタク古代人のネーミングセンスが俺にまで降り注ぐ
助けに入った瞬間主人公に踏みつけられて即死んだ蟹が
あなたの星座の由来ですって言われてどう受け取ればいい