そもそも幸せって言葉を作って
人は何をしたかったんだろう
現代だと哲学的大喜利のお題になってるけど
もともとは何のためにできた言葉なんだろう
それこそ幸せになる為に幸せは作られた言葉なんだろうか
AirPodsはいつも片側だけ道に落ちているから
あれは実質手ぶくろだと思ってる
そう、私はただどこかに手ぶくろを落としただけ
白くて高級な
僕には明るい未来が待っている。
いつのまにか前よりも涼しくなった
額の端が僕にそう物語っているから。
だけど僕はそれとは別のもうひとつ物語を今から始める。
明るい未来から逃れるため、端が頭頂部に繋がる前に。
クリニックの予約は18時にもう取れている。
ミノキシジルとフィナステリドが僕の物語を作り出す。
どこまでも続く晴れた空の色を設定した
誰かの好みは絶対ブルベという名推理
始まりはいつも鼻に付く文章になる。そして好き勝手に書き進めた後で語調を調整しようとするとなんだか堅苦しくて偉そうな文章になるのである。まぁそれを打開しようとして極端に口語で軽くしようとするんだけど存在しない馴れ馴れしい誰かを演じることになるのが私なんだよね。
んで語数をけずってひらがなおおめにしてシンプルな文章に整えていく。だけど自分の中の精確さを求めてしまって物足りず足していくアクセサリーのように余計な比喩を使ってしまう。それで困ったらこうやって自己言及的なメタ表現を使ってさも達観しているかのように見せる。
飛び出す。縦へ。平面の文章。触れる。他人の目。鬱陶しい。短く。作る。リズム。短文の羅列。ただそれだけ。
読んでいて恥ずかしいものばかり書いてしまう。そして今もそう。時制を使ってライブ感を出す。これもまたメタ的だ。こうやって何回も俯瞰で見て自己言及する思考巡回を他人は文章を作るときに何回するのだろう?そもそも文章は出だしが肝心なのか?
ねぇ、みんな始まりはいつもどう書いている?