ページをめくるという行為。
本を読むと必ず必要となる操作。
その僅かな身体の運動の意味。
映像であれば再生さえすれば操作は要らない。
音声なら目を向ける必要さえ要らない。
しかし本は目を向けページをめくらなければならない。
映像も音声も作り手の意図通りの速度で物語が進む。
しかし本は物語の速度は読み手の読む速度に比例する。
つまり本は読み手の受動性に能動性を混ぜる性質がある。
ただ眺める受動的な態度ではなく目と手を動かさせる。
この僅かな身体の動きは経験から体験へと変容させる。
物語の続きが気になると目が速く手も速く。
次へ次へと逸る意識が芽生える。
この速度感が本における快感の1つではないだろうか。
それは音楽でいう ノる に近い快感だろう。
本来聴かされているという受動の場面に帯びる能動性。
受動/能動が入り混じるほどの快の衝動が本にもある。
文字という静的なものでもそこに物語が付けば動的に。
その動的な性質に巻き込まれた読み手も能動的に。
そして動きの中に挟まれる身体の運動を伴うもの。
ページをめくるという行為がもたらすものはなにか。
既に述べた経験から体験への変容。
表から裏へ視覚的な世界の一新。
その際に起きるほんの一瞬の 間 の感覚。
本という物理媒体には細かな快の仕掛けがある。
しかし今普及している電子書籍ではどうだろう。
本という形を失った書籍には身体の運動があるだろうか?
あなたは答えを知っているはず。
今ここにある文章に目だけでたどり着けただろうか。
9/2/2025, 10:42:35 PM