もしも運命の赤い糸が本当にあるとしたら補強して極太のパイプにしたい。糸じゃ脆過ぎる。もうこちとら三十手前だ。相手まで辿りやすいように運命を強固にさせてくれ。
もう橋。赤い橋レベル。お互いが歩いて近づき合うことができるまでの幅と安全性が欲しい。赤い糸の観点からすれば恋愛に必要なのは心理学ではなく建設業。突貫工事でお願いしたい。あとリアルの方で一軒家も無料でお願いします。できるだけいい土地で。赤い糸とかどうでもいいので。
ムキムキマッチョなお坊さん。
それが入道雲の「入道」の意味。
これを知ったせいで私にはある呪いがかかってしまった。
ソフトクリームみたい〜。そんなふうに夏の空に見かける度に内心はしゃいでいた私を過去のものにする呪いだ。
入道雲を見たときに頭の中でふわふわと浮かび上がっていたソフトクリームの中心部から、筋肉ハゲが雄叫びを上げながら爆誕するようになってしまったのだ。入道の持つ意味が呪いとなって脳内ソフトクリームを弾き飛ばしてしまう。夏の風物詩を台無しにするとんでもない呪いだ。
知らぬが仏とはこの為にある言葉なのだろう。知ってしまったが故に私のファンシーな想像力にツルピカマッチョが乱入するようになってしまった。さよなら愛しのソフトクリーム。私は入道雲と名付けた昔のあほうを許さない。
そしてそれと同じようにあなたも私を許さないだろう。
あなたも入道の意味を知ってしまったのだから。
いつか滅びるんだなと感じるここ数年の夏。
銀色の日傘を買った。未来の色で光を弾く。
紫外線は老いの源。太陽は死をゆっくり進める。
ビタミンDもサプリメントで摂れる。
セロトニンも日光以外で確保できる。
科学で便利に若さに延命を重ねる。
美意識がそうさせたわけじゃない。
健康意識がそうさせたわけでもない。
やることがないから日焼け止めを塗っている。
美しく長く生きることは良いことらしい。
それがなぜ良いかはわからず従ってみている。
空虚な目的に意志なくなんとなく従ってみている。
夏の光は凶暴で焦らせてくる。
滲む汗がこのままではいけないような気にさせる。
拭ってもまたすぐに流れる汗が不条理を感じさせる。
いつか滅びる。不可逆に。
そう感じながらクーラーを作動させる。
精神が夏バテしている。
「花を見た時は即ち自己が花となって居るのである。」
西田幾多郎のこの一節は花よりも繊細に人の感性を表していると思う。何かを美しいと感じた瞬間は人は主客未分の状態で見惚れているというものだ。
花を見て綺麗だと感じたことを正確に表すならば普通は「私(主体)が花(客体)に見惚れた。」となるだろう。
しかし純粋な経験というのはその誰が何にといったような主客に分かれる前の状態であると西田は語った。つまり「美しい」と言葉になる以前の情動がまず先にありそこでは自分と花の境界線がなくなるということだ。
だから花を見たときに自己も花となる。主語を忘れたような瞬間の情動を西田はこの世の純粋な経験であると定義した。これは哲学的主張であることとは別に美しい詩であると思う。
花を見たときに人は花となる。
あなたが板から転げ落ちて私の心も落ち込む。
安アパートの狭いキッチンで私は料理をする。ひとり暮らしだから自分の為だけの食事を。今夜の献立は大好きな野菜スープ。たまたま冷蔵庫に取りやすいところに置いてあった人参から切っていく。
野菜スープが好きな理由は簡単に作れる点と栄養を摂っているというなんとなくの充実感を得られるから。切って煮る。それだけでいいから好きだ。味は別に好きじゃない。
誰かのためじゃない料理って不思議だ。料理っていう人間特有の文化的なことを自分が生きる為だけにする。それって人間なのに生存だけを目的にしている動物みたいでなんだか心がひっかかる。
そんな関係ないことを考えながら切るから人参にも嫌われた。切れ味の悪い包丁から逃げるように人参の欠片がまな板から転げ落ちる。ああ、ごめん。あなたのことに集中すべきだったね。急いで拾い上げてなんとか3秒ルールには間に合った。蛇口を捻って冷水を出す。
もう充分洗えているはずの欠片を手にシンクに響く水音をぼーっと聴いている。この欠片ひとつなくたって何が変わるんだろう。βカロテンが数μg減ったところで今日の私の何が変わるんだろう。それが考えるべきことかを判断できずに感じたことが頭の中でそのまま垂れ流れる。
目標も何も無いから毎日がつまんないのかな。やっぱり仕事か恋人みたいな身を捧げられるものが必要なのかな。会社の同期は昇進したし、地元の同級生は今度子どもが産まれるらしいしそういうのが結局正解なのかな。会社の為、家族の為、誰かの為。人の為………
そうだ。私も人だ。
感情の濁流の中。ふとそう思って蛇口を閉めた。スマホでいつも気にもしなかったスープの美味しい作り方を調べる。
私は私という人間が生きる為の動物になればいい。
他の誰かの為のじゃない料理を肯定することから私の何かが始まる気がしたからそうやって大げさに自分に言い聞かせた。何かが変わって欲しい。見つけたレシピに従って普段とは違うスープを完成させた。
美味しい。口に運んだ一杯目ですぐに気付いた。人参が美味しい。いつもより舌触りがいい。せっかちな私はいつも煮る時間が足りてなかったらしい。もはや味付け以前の問題で自分の間抜けさに思わず笑った。
笑ってしまった。いつもと違うことをするといつもと違ってひとりの食事でも笑えたりするんだ。そう思いながらスープをゆっくり飲み干した。
明日は何を作ろう。私の為に。