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「花を見た時は即ち自己が花となって居るのである。」

西田幾多郎のこの一節は花よりも繊細に人の感性を表していると思う。何かを美しいと感じた瞬間は人は主客未分の状態で見惚れているというものだ。

花を見て綺麗だと感じたことを正確に表すならば普通は「私(主体)が花(客体)に見惚れた。」となるだろう。

しかし純粋な経験というのはその誰が何にといったような主客に分かれる前の状態であると西田は語った。つまり「美しい」と言葉になる以前の情動がまず先にありそこでは自分と花の境界線がなくなるということだ。

だから花を見たときに自己も花となる。主語を忘れたような瞬間の情動を西田はこの世の純粋な経験であると定義した。これは哲学的主張であることとは別に美しい詩であると思う。

花を見たときに人は花となる。

6/26/2024, 12:26:31 AM