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あなたが板から転げ落ちて私の心も落ち込む。

安アパートの狭いキッチンで私は料理をする。ひとり暮らしだから自分の為だけの食事を。今夜の献立は大好きな野菜スープ。たまたま冷蔵庫に取りやすいところに置いてあった人参から切っていく。

野菜スープが好きな理由は簡単に作れる点と栄養を摂っているというなんとなくの充実感を得られるから。切って煮る。それだけでいいから好きだ。味は別に好きじゃない。

誰かのためじゃない料理って不思議だ。料理っていう人間特有の文化的なことを自分が生きる為だけにする。それって人間なのに生存だけを目的にしている動物みたいでなんだか心がひっかかる。

そんな関係ないことを考えながら切るから人参にも嫌われた。切れ味の悪い包丁から逃げるように人参の欠片がまな板から転げ落ちる。ああ、ごめん。あなたのことに集中すべきだったね。急いで拾い上げてなんとか3秒ルールには間に合った。蛇口を捻って冷水を出す。

もう充分洗えているはずの欠片を手にシンクに響く水音をぼーっと聴いている。この欠片ひとつなくたって何が変わるんだろう。βカロテンが数μg減ったところで今日の私の何が変わるんだろう。それが考えるべきことかを判断できずに感じたことが頭の中でそのまま垂れ流れる。

目標も何も無いから毎日がつまんないのかな。やっぱり仕事か恋人みたいな身を捧げられるものが必要なのかな。会社の同期は昇進したし、地元の同級生は今度子どもが産まれるらしいしそういうのが結局正解なのかな。会社の為、家族の為、誰かの為。人の為………

そうだ。私も人だ。

感情の濁流の中。ふとそう思って蛇口を閉めた。スマホでいつも気にもしなかったスープの美味しい作り方を調べる。

私は私という人間が生きる為の動物になればいい。

他の誰かの為のじゃない料理を肯定することから私の何かが始まる気がしたからそうやって大げさに自分に言い聞かせた。何かが変わって欲しい。見つけたレシピに従って普段とは違うスープを完成させた。

美味しい。口に運んだ一杯目ですぐに気付いた。人参が美味しい。いつもより舌触りがいい。せっかちな私はいつも煮る時間が足りてなかったらしい。もはや味付け以前の問題で自分の間抜けさに思わず笑った。

笑ってしまった。いつもと違うことをするといつもと違ってひとりの食事でも笑えたりするんだ。そう思いながらスープをゆっくり飲み干した。

明日は何を作ろう。私の為に。

6/21/2024, 12:01:27 AM