まず世界と終わるは何を指してんねん
「明日世界が終わるなら」
この話題の趣旨であるそうならばどう過ごすか以前に言葉の意味を捉えてそこまでたどり着けない
そこを言及するのはナンセンスだとわかっているが隕石が衝突する等何らかの原因で地球が滅亡し人類全滅することが世界が終わることだとすればそう表現してほしい
であればそれはメイヤスーの言う今までの科学が論理体系を組んでいた法則群が因果概念とは無関係に突如すべて崩壊しなんの原因もなく宇宙が滅ぶ可能性は常にあり得るという主張より理由があるぶん優しいシナリオだ
話題に対してナンセンスな話を続けるが世界が終わることを決定事項としてつまり間違いのない決定論的視点という人の枠組みを超越した把握を可能としていることの方が世界が終わることよりよっぽど無理があって納得し辛い
原理的に考えれば明日世界が終わるとしても人はそれを情報としてしか受け取れずできることは信じるか否かでその事実をそのまま直観的に理解することはできないからだ
色々書いたが言いたいことはどうあがいてもわからなくて突然理由もなく終わる可能性を含んだ未来がある世界の中で自分たちは暮らしていてそれが普通であるということだ
今日も普通に暮らしている
「優しくしないでって言ってんだろうが。」
目の前で全裸の大人が私へ怒鳴っている。私が優しさを履き違えたせいだ。表裏を履き違えているパンツを気にせず怒鳴り声の主は急いで着替え部屋を出ていった。
オプションで注文されていた「豚野郎」と呼ぶのを躊躇して「ぶたさん」呼びを3回してしまったこと。要求されたビンタをする度にすみませんとつい謝ってしまったこと。その他もろもろを含め私がこの事態を引き起こした原因だ。
初めての夜職だから怖い人が少なさそうなこの店を選べばまだ安心と思っていたのが甘かった。人には優しくしなさいと言われ続けて育った私にはこの仕事は過酷だった。
しかし、早々にもう辞めてしまいたいとまでは思わなかった。私に染み付いた優しさによって誰かを不快にさせたままで終わるのは自分を許せないと思ったからだ。
まだきっと間に合うはず。ドアを開け姿を探すと廊下で店長さんとお互い大人の顔をしながら大人の話をしようとしているところを見つけた。今この瞬間にやるしかない。
「帰ってこい豚野郎、続きをしてやる。」
信じてきた優しさを反転させて私は叫んだ、いや罵った。覚悟を決めた声は震えておらず廊下を真っ直ぐ通過した。
「すみません、実はこれもプレイの一環なんです。あの子のまま延長でお願いします。」
私の声を聞いた豚野郎は少し笑みを含めながら店長さんにそう伝え体をこちら側に向けた。
私は今日、もっと優しくなれた気がする。
幼子が はしゃいで遊ぶ ドリンクバー
混ざるカラフル マズさすこぶる
アダムとイヴが生きているなら
日本へ無理やり連れ出して
ここが真の楽園だと教えてやる
行き先は青森
実存は本質に先立つ
生きることは無意味もしくはだからこそ意味付けできる
そんなふうに実存主義的な考えに辿り着く人は多い
あるいは科学的に生きることをドライに見て
DNAを運ぶただの乗り物の動向として見なしたり
動物として捉え生存することこそが意味だとする人もいる
だが思うに生きる意味を問うことで浮き彫りになるのは
人の目的が何かではなく人が目的を求めていることだ
意味概念自体が目的を前提としているものであり
何か目的を求めていることは確かなものであると思える
実存主義者はそれに従い目的を立てていると言えるし
生物学的には意味概念を持つ目的を生存と答えるだろう
しかし生存から逸脱した目的も次々と人は立てる
この脱目的性も人にある確かなものであると感じる
これは神経科学のドーパミンの作用によっても語られる
人はいかなる目的にも飽きて逸脱する可能性がある
それはドゥルーズがベルクソンを援用して肯定した
生成変化をし続ける人の原理のひとつとも言える
常に逸脱し続けていて「在る」ではなく「成る」もの
人の生きる意味はわからないが形而上の何かを
無根拠に肯定できればそれは幸運と言えるだろう