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実存は本質に先立つ

生きることは無意味もしくはだからこそ意味付けできる
そんなふうに実存主義的な考えに辿り着く人は多い

あるいは科学的に生きることをドライに見て
DNAを運ぶただの乗り物の動向として見なしたり
動物として捉え生存することこそが意味だとする人もいる

だが思うに生きる意味を問うことで浮き彫りになるのは
人の目的が何かではなく人が目的を求めていることだ

意味概念自体が目的を前提としているものであり
何か目的を求めていることは確かなものであると思える

実存主義者はそれに従い目的を立てていると言えるし
生物学的には意味概念を持つ目的を生存と答えるだろう

しかし生存から逸脱した目的も次々と人は立てる
この脱目的性も人にある確かなものであると感じる
これは神経科学のドーパミンの作用によっても語られる

人はいかなる目的にも飽きて逸脱する可能性がある
それはドゥルーズがベルクソンを援用して肯定した
生成変化をし続ける人の原理のひとつとも言える

常に逸脱し続けていて「在る」ではなく「成る」もの

人の生きる意味はわからないが形而上の何かを
無根拠に肯定できればそれは幸運と言えるだろう

4/28/2024, 1:47:54 AM