学生時代の衣替えの移行期間を思い出した
夏服と冬服のどちらで登校するか本人が決められる
たしか数週間だけそんな期間があった
浮かないようにするためか期間の初めでなく中盤から衣替えするクラスメイトが多かった気がする
そんなことを気にせずに初日から着てきた人がそれについて軽く笑われていた気もする
規律の中の選択自由が制服によって可視化される感じ
各々の意思が服装によって二分化する不思議な空間だった
徐々に皆が皆の服装を様子見ながら選んでるあの感じ
とても地味だけど教室に流れていた何か
それが妙に自分の印象に残っている
叫びには声が枯れるまでという身体による限度がある
しかし叫びは形を変えて声から逸脱していった
.mp3から.txtへエンコードするような叫びの変換
現代の心の叫びは声でなく文字で遂行可能なものとなった
喉代行の指先は人の欲動のままに打ち出す
枯れることを知らない限度なき叫びを
始まりはいつも持続する時間を切断するものである
始まりはそれ自体により区切りのない時間を終わらせる
今日や明日がなかった時代はどんな暮らしだったのだろう
日陰が時間を表せることすらも気づかなかった時代
そもそも時間は人が生得的に感じられるものだろうか?
終わりのない問いが始まる
言葉と行動もそれの意味をひとつにできないのかな?
そうじゃないから他の人とすれ違っちゃう
そもそも他の人が同じ考えかは確かめられないもんなー
んー それでも言葉もつかうし行動して確かめたくなる
伝わるかもしれない 届くかもしれない
その可能性があるから確かめたくなっちゃう
絶対に意味が一緒か確かめられなくても相手に伝える
これ?違う!じゃあこれ?そう!…かと思ったら違ーう!
みたいなやり取りが起きるかもだけど伝える
それでも一緒なことを考えてると思えたときが嬉しいから
だから傷つく可能性があっても人と話したい
そっちのほうがいいって信じてるから
雲一つない澄んだ空は美しくて怖かった。夜の海のように色の差異のない画一的な自然。一色で統一されたような広大な自然はどこか飲まれそうに感じる。自分の身体も澄んでいってその一部に溶けてしまいそう。美しさはそんな怖さを持っている。
いつも浮かんでいて多種多様な雲。それが一つでもあれば邪魔だと思わせる一面の青が物語る。いずれは雲一つも消えてなくなって最終的には空のみになると。雲はその物語の過程の存在でしかないように感じさせられた。
空に心を奪われていると目の前にイチョウの葉が舞った。去年もこの道のこの時期に同じ光景を見たことを思い出した。廻っている。そんな些細なことからぼんやりと円を描くような時間を感じた。いつかの終わりを目指すような一直線ではない時間の流れを。思わず立ち止まって少し考える。もしかするとこの円環自体が終わりのあり方なのか。延々と同じことが続く。それが終わりを示しているのか。
目の前に散らばるイチョウの葉。その葉脈はすべて同じようで違っていた。ただ線が平行に並んでるだけのように見えて所々2つに分かれた線模様が葉ごとに違った場所にある。直線から枝分かれした変化が。統一の中の非統一が。この円環は差異を含んでいる。