トラウマは忘れたくても忘れられない記憶の1つと言えよう
心に見えないタトゥーのように染み付いたもの
心的外傷という別称は心の空間化、物質化を思わせる
身体の傷のように目に見えないはずの心にも傷があると
そのようなイメージが漠然と浮かび上がる
心の傷という比喩が次第にそれが比喩とは思えにくくなる
トラウマという概念自体がトラウマのように刻まれる
受け入れ難いがそうと信じざるを得ない変え難いもの
そのような変更不可能な見えざる何かを抱えて生きている
この自己像は思考の基準となって心に深く根付く
しかしその一点のみに思考を委ねるのは危うい
それとは別のもう一つの基準を持つあり方が鍵と思える
どこまでが変更不可能かいつでも再確認できる鍵
2つの基準を持って矛盾しながらしなやかであること
二重の基準の回游 それが心の営みと思う
光にやわらかさを憶える
光は刺激 こちらに反応を仕向けるような鋭利なもの
しかしそれにやわらかさを憶える
鋭利なものの例として針があるがそれを取って考えてみる
針の刺激は通常不快でありイメージするだけで怖さがある
しかし針を使うものの中には鍼灸というものがある
身体に極細の針を刺して身体の調子を改善するもの
それには痛気持ちいいのような不快と快感の混ざりがある
やわらかな光もそのようなものかもしれない
光は眩しさという針を刺す
しかしその後の和らぎに微弱な快楽がある
非常に微弱な一種のマゾヒズム
人にはそんなところがあるのかもしれない
リバウンド直後に受けたパスからの速攻
身体は弾丸 周りを置き去りに飛び出す
一歩目から一気にトップギア 爆発的な加速
意識はゴールネットのみ 身体はそこに到達する為の道具
疾風怒濤 人壁を身体が風のように吹き抜ける
身体の意識はほとんど失う 視界のみが意識のすべて
駆け抜ける度に景色が超速で流れていく
立ち止まるすべてが点から流線に変わっていく
試合終了直前 シュート圏内
少し上げた顔 鋭い眼差し 捉えるゴール
残り0秒 放たれたアーチ 揺れるネット
私が今日気づいたこと
上とか高とか下とか低って付く言葉はめっちゃ多い
それでだいたい上か高が付くのは良いものなんだよね
逆に言うと下か低が付くのは悪いものが多いって感じ
ただの方向なのに何がそんなに違うんだろね
目標は高く高く!上を目指して!
それこそ 目上 の人にそんなこと言われるけど違和感ある
なんで目指すのはその方向なんだろ
右とか左でもよかった気がするのに
うーん わかんない
とりあえず奥行きのある人間にはなりたいなぁ
親や祖父母たちの中に
子どものような姿があるのを見て育ってきた
そのおかげで大人たちも幼い自分と同じ生き物だと
常々感じながら育ってきた
人が欲望を見せるとき
その瞬間子どものように見えてくる
言葉をつかっても理屈を並べても
根源には何かがしたいという欲望がある
欲望に動かされている姿に
醜さの前に可愛さを感じた
訛りのある不器用な言葉で
祖母にだだをこねる祖父の姿を思い出す
白髪の少年の姿は可愛かった