時間は残酷だ。如何様に目を背けようと、現実は全力を持ってして殴りかかって来る。
それは鍋蓋を持った僕を相手にマシンガンで蜂の巣にするような非情な行為としか考えられないこと。
8月31日、午後5時。
「僕は今悟りを開いた」
「バカ言ってねぇで、手ぇ動かせ」
「時として、時間は僕らに牙を持って襲ってくる」
「話聞けよ」
紺色のカーテンの合間からさす日差しは、未だに青青としていた。エアコンが流す稼働音はbgmとかし、耳の中で即座に溶けてゆく。机を挟む形で語らう僕らには1寸の余裕はなかった。
「しかし、しかしながらだよ。その牙すらも削り取ることだってできるはずだ」
「......なに?」
「僕たちが時間を殺すんだよ」
「......」
「時間とはつまり変化さ。それを停滞し、否定し、はては時間の象徴とも言える太陽をも克服するのだ。どうだい?乗ってみないかい?」
「あのさ、それって要は、諦めるってことだよな」
「あぁ、それが時間への叛逆さ」
「バカ言ってねぇで夏休みの宿題終わらすぞ!」
「やだぁぁぁぁぁぁぁ」
その日僕らが眠ることはなかった。
ちなみに、2人とも普通に宿題は終わらなかった。
さらさら!?さらさらっつったか!?
ハゲをバカにすんじゃねぇ!
太陽光に負けないくらい必死に生きてんだ!
冬の寒さに人一倍耐えてんだ!
お前にハゲの偉大さの何がわかる!
毛根はこの頭を守っていた大恩毛だ!
俺を照らしている頭皮をバカにすんじゃねぇ!
私が声を発したということは、世界に淀んだ空気がひとつ増えたことと同義である。
批判は拒絶でしかなく称賛は嫉妬の裏返しだ。
故にこの閉ざされた社会的空間において、私の名前を呼ぶという行為はただの嫌がらせでしかなく離れ難い日常であった。
「皐月さん」
「なに」
抗議半分嫌味100%の私の表情に臆することなく彼女の口は開き続ける。
「さっき言ってた班決めの時の話なんだけど」
やはりそう来たか。さっき言ってた班決めというのは、来週ある鎌倉遠足での班の事だ。その時ありたいていに言えば私は孤立していた。周りがいそいそと仲間を見つける中、私は机を動かずにいた。そこを掬いあげたのが彼女、美園 エリカである。
「なに?班決めが無しにでもなった?」
「いや、そういうことじゃないんだけどね」
180を超えた私の胸より少し下にある顔が視線を合わせようと美園は顔を上げる。
綺麗な小麦色の髪を携えて言い淀む彼女。そこから伺えるルビーのような瞳は何処か慎重に地雷原を除去している様な緊張感溢れるものだった。
「ただ他の子たちがさ、やっぱり別の班に行くみたいで」
「ふーんまぁそうだよね私みたいな余所者がいたら嫌だもんね」
「いや、そういう訳では無いと思うよ!」
「いいよそういうの慣れてるからね」
「ほんとに!私は皐月さんと回ろうとおもってるし」
「はぁ?」
懐疑的に細める私を横目に美園が決心したように話を始めた。窓から差し込むオレンジの光は廊下を神秘的に塗装される。
「実は私......」
なんなんだこの空気は。
人生で一番の圧迫感だ。死んだ目をコンビニ店長との面接だってここまで嫌な予感を感じたことは無い。
「あなたと友達になりたいの!」
「とも......だち」
ともだち......
「はぁ!?」
「だっダメかな?」
「ダメとかいう以前に意味がわからないんだけど」
今までこう言うタイプが居なかった訳じゃない。私を哀れんで、自己愛と周りへの印象づけの為に寄ってくるクソども。でも彼女の瞳が物語っていた。
言うなれば憧憬の眼差し、いや、もっと近い表現をすると好き好き光線というやつだろう。初めて見た。
「いやあの、だってほら変な噂は聞くけど皐月さんいつも難しそうな本読んでるし、孤高って感じでかっこいいし他にも、美人さんでモデルみたいな体型してるし、手入れされた青いロングヘアーが神聖さを醸し出してるし、」
「ストップ待ってくれ、つまりは物珍しさで近寄ってきたって事でいい?」
「えっと物珍しいっていうのも否定はしずらいけど、1番は前あった御本さんと朝倉さんの喧嘩を仲裁してくれた事かな」
「仲裁.....」
あぁ言われてみればそんなこともあった気もする。彼氏を奪っただとか、私は悪くないだの喚き散らしていたあれか。恥辱のもつれだかなんだか知らないが、その日不機嫌になった私はついつい横槍を入れてしまった記憶がある。そこからは本当に地獄絵図だった。火に油、彼らの敵意はすぐに同調し私へと矛を向け始める。
何があんたには関係ないだ仲良くシンクロしてんじゃねぇ。お前らロボットアニメじゃねぇんだからよ。
そんな彼女らの光景に億劫と呆れが通り過ぎ、登った血はすでに下山し終えてしまう。
だからこそ判断を下した。こんな教室のど真ん中に置かれた火種をどうするかをだ。
「それってさ浮気した彼氏が悪いよね」
感情で動く人間というのは案外操りやすいものだ。そこに撃つべき標的がいて大義もあればの話に限りだが。
彼女達の感情の元は明白で両者共々悪者を退治しようとしている。そこに自分の彼氏を守るだとかそういった感情は感じられなかった。私の所有物を奪ったという憎悪と怒り。そんな彼女らを焚き付けるのに5分もかからなかった。
結局この話は仲裁なんて話ではなく、不法投棄したバカに返しただけなのだが。
「別にそんなつもりは無い」
「でもね、あの時の皐月さんはかっこよかったよ。あのままじゃきっともっと酷いことになってたと思うから。私はぼーっとすることしか出来なかった。」
「はぁ、それだけなら答えはnoだね」
結局美園も私を珍獣として見るだけだろう。動物園のように観察し理解出来ず離れていく。腐るほど見た王道展開だ。
そう思い立ち去ろうとするが
「でも...」
「いい加減にしてくれない?あのさ、さっきから私の顔みてないの、迷惑って顔してない?」
「......」
「あなたがその事についてどう思ったかなんて関係ないし、その程度の事で近ずかずられても迷惑。ハッキリ言ってあなたの行動てさ自己を満足させるためだけの行為だよね」
俯く彼女に動く気配は無い。漸くかとため息を吐きなが足を動かす。
「諦めないから!」
「はぁ?私の話聞いてた?」
「確かにこれは自己満足だし、迷惑をかけるかもしれない、それでも私は友達になりたい」
「あのさあ...」
「だってあの時怒ってくれたのは私の所為でしょ!」
私は何も言えなかった。
真っ直ぐな瞳がこちらを射抜く。
「あの時、口論がヒートアップしてもの投げたものが私にぶつかったのを見たんだよね?」
「そんなものは知らない」
「でもあの時私と目が合ったよね」
何も言えるはずがなかった。
話を始めた時点で負けていた。
「恩人と仲良くなりたいってイケないこと?」
そう訪ねてくる彼女は母のような優しい微笑みを浮かべている。
「大袈裟だ」
ため息の混じった声がでる。何となくこの展開を私は予測していたのだろう。その上で彼女の話を聞いていたことを自覚して体を掻き毟りたくなる。
「そんな事ないよ」
「わかったよ。私の負け。いいよ友達になっても」
こんな上から目線の言葉に目を輝かせ思わずと言った感じでガッツポーズを決めていた。
まったく、こんな性格の悪い巨女と友達になりたいだなんて変な趣味を持つやつもいたもんだ。
「これからよろしくね!」
「ああ、よろしくエリカさん」
「エリカでいいよ!」
「いや、それはやめとく」
「えぇー」
「じゃあここに置いとくからね」
ドアの向こう側からは母親からの簡素な言葉が漏れていた。僕はその音を聞きたくなくて布団をより深く被る。それでも耳が拾ってしまうのは僕の幼さ故か、そんな考えが浮かぶが確かめる方法は無い。
乾いた喉は、震える瞳は僕の心の弱さの象徴している。
ジメジメとした部屋。暗がりには昨日からつけっぱなしのpcがひとり寂しく照らすだけ。居心地は最高潮に悪いがここ以外の居場所は悪天候の河川敷の下くらいしかないだろう。
別にいじめだとか過去のトラウマだとかそんな大それたことではない。
僕だけの問題で、悪者は自分自身。
それに気づいたのは小学校の頃か。当時の僕は色んなものに興味を惹かれていた。本当、色んなものにね。
空に広がる青い雲たち、季節の彩りやピアノが放つどこか儚げながらも鬼神に迫る迫力。その全てが僕には不思議と魅力的に感じていた。それはある意味では子供らしく、子供らし過ぎた。
わかりやすく言うなら、少しズレた子だったのだ。
他の子がかけっこをしている時、僕は雲の動きを探っていた。
他の子が山で虫を取りに行っていた時、僕は炎がなぜ燃えるのか考えていた。
そして他の子が好きな物を見つけ始めた時、僕は全精力をかけて音の響き方について研究していた。
それらはとても捨てがたい思い出たちであると同時に、忌まわしき呪いでもある。
そんなある時、学校のありとあゆる小道具を叩いてその録音を何度も聞いていた時に1人の女の子が近ずいてきた。
「なんで僕くんはそんな変な事するの?」
そうクラスメイトに聞かれた事を今でも鮮明に覚えている。抑揚なく、ちょっとした好奇心による言葉なのは当時の僕にも気づいていた。
それでもなお僕は切れてしまった。譲れないものだった。僕の豹変した姿に驚いた女の子は涙を流し、それを見た僕は更に激昂した。
そんな僕達を何とか収拾をつけようと呼ばれた先生がとった行動は両方を謝らせるというものだった。
その判決は子供の僕にとってはあまりに無情なものだった。思考を放棄し、自己満足に浸るような行為にしか感じなかった。
講義をしようと一旦頭を冷静にした時気づいたのだ。周りからの視線を。周りからの嫌悪の視線。奇異な目線。
色々な重圧が一点に集中していた光景を。
その後、謝った。それをもう完璧な土下座を持ってして。最大級の謝罪を行った。
それからという物僕は変わる......ということは無く、膨れ上がる矜持は留まることを知らなかった。
むしろプライドを傷つけられたと感じた僕はより孤立して行く。それは中学、高校に行っても変わることは無かった。
そして悟ってしまう。惰性と稚拙に塗り固まった考えだと今では感じるが、それでも唯一の打開策だと考えた。
それがこの僕の姿だ。転校した通信高校生という身分を大いに活かし、ぬくぬくと家で巣くっている。
親に考えを話した時、驚いた顔をされたが反対することは無かった。薄々気づいていたんだろう僕の気質を。
そしてそれからは趣味に没頭する日々だった。全てを出しつくしていくうちにポツポツと募っていく思いがあった。その思いに触れてしまった。
ようやく僕は気づくことが出来た。結局は逃げていただけなのだと。あの時、反抗するのではなく謝ったのがその証拠だ。僕は責任から逃げた。それからという物会話という会話をしなくなった。責務から逃げたのだ。
そして逃げ着いた先は静かなる森の中。
声は響くことはなく、迷いんだら逃げられない。恐ろしい森へと。
でも。
それでも。
だからそ。
もう逃げられない。逃げられない場所まで来てしまった。それでも僕ができる事が一つだけ、開拓の道だけだ。
まだ決心はできていない。もしかしたら元いた道に戻るだけかもしれない。
恐怖はある。不安はある。
でも僕が僕のままでいる為に矜恃を捨て、好奇心だけのあの頃に戻るために、冷たい扉のレバーを押し開けた。
今どき紙なんて古臭い。
調べたいならネットを開けばいい。そうすれば嘘か誠かも朧気なふざけた情報はわんさかと溢れかえっている。
連絡を取りたいならスマホを開けばいい。今や日本におけるスマホの使用率は97%を超えている。3%を引きにいく愚か者は知らんが、そんな中でわざわざと手紙を書き、住所を書き、ポストに入れ、空き時間に思いを馳せる奴なんてストーカーか変人の二択だ。
つまり何を言いたいのかと言うと。
決して全くもって、この下駄箱から飛来した手紙に胸がときめいてる訳では無いのだ。