たくさんの思い出
「
」
「冬になったらなにしたい?」
そう目の前の白銀の少女に問われた。ナイフを膝に置き、剥きかけのリンゴから酷くこじんまりとした病室のベッドに視線を移す。
「それは......季節的な意味か?」
「いいや、私になったらという意味で」
ややこしい聞き方だが、突拍子も無い話が始まったことだけはわかった。
ほんの少し頭を働かせてみる。目の前の少女は、一見して美の女神のような美貌を持ち合わせ、その頭脳も常人の遥か上を行く。
ただ1つだけ言うのなら全てにおいて小さいことだ。身長も僕の頭一つ下であるし、胸もない。そのやることなすことはクソガキのそれだ。
「お前がやってるようなイタズラをしてみたいとは思うな。あれほどの滅茶をできるもんなら相当なストレス解消にはなりそうだ」
「そう......」
淡白な返事だけが帰ってくる。憂いた目は一体どこに向いているのか俺には想像できない。
「でももう私にそんなことは出来そうにない。体はボロボロあれほど満ちていた探検心も空っぽになりかけてる」
深刻そうな面持ちで話が始まった。少女の目が朱塗りに染った窓へと向かった。
「きっと、私の命はあの葉1枚の命しかない」
言いたいことは色々ある。ただ敢えて一言いうなら。
「いやお前拾い食いして食中毒なだけだろ」
「いかないで」
そうぽつりと呟いた。辺りは静観としており澱んだ空気が場を支配している。
「いかないで」
そう何度も何度も切望し、消え去る。
私はただそれを見送ることしか出来ない。腫れた目からは大粒の涙を絶えず流れている。大事にしていた髪はざっくばらんに拡がっていた。
遼遠の先にいる僕は慰めることすら出来ない。
すまない。そんな振動が彼女の耳に届くはずもない。
君が生きていく姿を見たかった。制服姿を見て、花嫁の姿を見ていたかった。君の笑顔が見たかった。
すまない、こんな父親で。
私の好きなアサガオで飾られた黒い箱の中からは、微動だにしない私がそこにはいた。
どうか許してくれ、離れ離れになることを。
どうか忘れてくれ、私の死に様を。
ずっとずっと近くてずっとずっと遠い場所で私は謝り続けた。
「スリル」
バンという勢いよく放たれた解放とともにある人物がこちらに近ずき話しかけてくる。
「友人だったやつがこういうんだ。リスクなんか取らなくていいって」
そう突然言い始めたのは長身の女性。きめ細やかな髪を肩まで伸ばし、その肌にはシミひとつ見当無い。ただ体調でも悪いのだろうか、雰囲気に違和感があり、鋭い目の下にはクマが着いている美女。
僕の先輩である。
「はぁ」
「でもそれっておかしなことだとは思わないか」
全くもって意味不明である。いや確かに彼女は中学時代からの先輩であり、何度も助けられたことのある人だ。雑談の一つや二つ交わしたとて日常の一欠片に過ぎない。
問題なのは......
「ここ、男子トイレですよ?」
「そうだが?」
「しかも授業中」
「そうだが?」
そうだがじゃないが?
ダメだこの人話が通じていない。目が完全に浮浪者のそれである。
積もる疑問と困惑、一端の静寂をかき消したのはまたしても先輩だった。
「私は頭脳明晰スポーツ万能だ。生まれてこの方1番以外を知らない天才美少女だ。スリルの一つや二つあった方が人生も豊かになると思わないかい?」
「......」
絶句だ。もはや声も出ない。さっきから一体何の話をしているんだ。ここトイレだぞ、踏ん張る場所だぞ。相談はカウンセラーに行ってこいよ。
「確かに平穏な人生もいいだろう。穏やかで何よりも得がたいものだと思う。しかしだ、その一方で山あり谷ありのハラハラドキドキ感それが......」
「いやいや、待ってください!まず状況が意味不明です。今授業中で男子トイレでしかも僕ズボンおろしてるんですよ!」
と僕は声を荒らげた。
先輩は少しキョトンとした顔を見せたあと、じっと僕のやせ細った体を見つめる。ホントなんなんだよコレ。通報した方がいいのか?
「......確かにそうかもな」
なんだよそうかもなって、通報より救急か?
「あの...何か僕やらかしましたっけ」
振り返ってみると、ここ数日の先輩はおかしい。出会った時も変な人ではあったがここまで話の通じない人ではなかった。
「〜〜♩」
目を逸らし僕の視線から逃げるように口笛を吹く。
うっっま部族かよ。どうやって口笛でビブラート出してんだ。
「先輩」
「......わかった悪かったよ」
分が悪いと悟ったのか観念したかのようにつぶやき出ていこうとする。
「待ってください」
「?」
いやそんな、何も知らない童女みたいな瞳で見られても無理だから見逃せないから。
「なにか、話をしたくて思わずここに来たそうでしょう?」
「うぐ......」
「何か衝撃的で動かずにはいられない、忘れずにはいられない、そんな命の危機に襲われるような.......」
そこでハッとしたように思い出す。たった一つだけ思い当たる事象。目の前にいるこの人が知るはずがない事。
「聞いたんだ。君の寿命のこと。」
そうかやはり
「知ってたんですか僕の病気」
慢性的過換気肺疾患。主にタバコや大気汚染、遺伝子などで発病する死の病。治療法はなく対処療法しかない。悪化したが最後じわじわと死神の鎌が近ずいてくるということだ。
「君の叔母さんからね」
「......」
「やっぱり君の親父さん、あの時刺しとくんだった」
「いいんですよ。終わったことです」
あの時と言うのは多分お父さんの虐待から僕を助けてくれた時のことだろう。
「余命4年なんだって?」
「......多く見積ってですけどね」
「きっと治るさ、治療法だって4年あれば見つかるだから」
掠れるような声でそう言われた。切望しているような絶望しているようなそんな声。
「僕の場合既にステージ3。遅らせる術はあれど無くすことはできません。」
「......」
だから嫌だったんだ。このことを話すのは。こんな先輩の顔二度とみたくなかったのに。
「先輩僕は......」
「いやだ、別れたりなんかしない!あの時のキスを無かったことになんかしない!」
そういい僕に抱きつく、今にも泣きそうな顔をして。
僕はどうすればよかったのだろうかあの時あの助けてくれた優しい手をはたけばよかったのか。僕にはわからない。やしさしくも寂しそうな抱擁を解きながら僕は決心した。これが正しい選択なのかは知らない。
「きっと僕は近いうちに死ぬ。優しい優しい先輩のことです。堂々としているようでどこか繊細なあなたは痛く苦しむことになるでしょう。」
「......」
「それでも僕のこと最後まで好きでいてくれますか?」
「あぁ、もちろんだ」
「ありがとう」
「言っただろう?私はリスクが好きなんだ」
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追記
最後がやりたかっただけ。リスクという文字を見た時に思いついたのがこれ。正直書いてて意味不明だった
つらいつらい翼はいつも僕の中にある。
いつ青空に迎えるだろうか。いつ太陽に声を荒らげることが出来るのだろうか。
僕はいつの日かと、常に心躍らせている。
小さな遊具と遊んだ時、少しキーンと冷えたジュースを目一杯飲んだ時、先生の怒られた時、いつだって僕らは待ち続けている。
僕はいつしか私になった。
青空はいつしか天気になった。ジュースは酒に、先生はいなくなった。
私は変わらない。いつだってあの憧憬に興奮していたから。澄んだ空気に日焼けなんか知るかと大空に言ってやるのだ。
私は変わらない。きっといつまでも。