小麦畑が黄金色に染まる時いつも思い出す。
湿った空気はいつでも肌に付いて離れない。けれどもその感触は達成感が沸き立つ、言わば勲章のようにも感じていた。
畑作業に一区切り着いた頃、休憩がてらとある缶の蓋を開けた。
木陰に照らされた椅子に腰掛け小麦たちを見守るこの時間は少し寂しさを感じてしまう。だからこそ、こんな真昼間からでも飲むビールはどんな喧騒で包まれた居酒屋で飲むよりも美味く感じてしまうものだ。
「なあ、そう思わないか?」
問いかけに答える声は無い。
ただ一点を見つめる視線は彼女の姿を捉えていた。
木々の傍に背中を凭れさせ本を読む黄金色に輝かやかせる髪を下ろす彼女。
「返事のひとつもないとは寂しいねぇ」
出会いと言った出会いは無い。近所の子だったのか、成人しているのか、なぜここに居座るのか、その節々にある行動の意味を知ることはついぞ出来ないままでいる。
しかしただ一つだけこんな鈍い男でもわかることはあるもので。
「幽霊にでさえ無視されるとは」
ハッキリとそれを認識したのはつい最近だ。
小言を吐き毎度の事ながら無視されていた私は、いつまで経っても経過しないこの時間に少し飽きを感じていたのかもしれない。その日の私は今日こそはと立ち上がり彼女へと手を向ける、その拍子だった。
同じく休憩中であっただろう蝶が羽ばたいた。
その軌道が彼女の鼻へと向かう。
「!?」
だが衝突することは無い。蝶は顔を通り抜け空へと飛び立った。
あまりに奇っ怪な光景に目眩を起こしたのを今でも覚えてる。
それからというもの、不用意に近ずくことは無かっが、なお話しかける事を辞めないのは人間故の好奇心だろうか。
「それにしたってもう1年も経つんだ、少しくらいアクションを起こしても損は無いとは思うね。もうこんなにも毎日顔を合わせているんだ友達どころか私達はもはや親友なんじゃないか?」
その瞬間木々がざわつく。風はまるで意思を感じず思うがままに振る舞うだけだ。それは当たり前の事。風に思想なんてあっては困るしただそこに存在してくれるだけでいい事。当たり前は連鎖していく。小麦は踊り、肌はヒンヤリとした冷たさを感じさせ、そして風に仰がれた本はページを進める。
幽霊の持つ本がか?
幽霊の1部だとそう思いこんでいた。実際、彼女の純白なワンピースは草を踏みしめることなく透けさせている。
なぜ本だけが風に吹かれたのか。
その疑問が生まれれば伝播するように私の脳を埋め尽くす。思えばあの本には題名も何も付いていないが、重厚感や金で飾り付けされているところを見るとかなりの高価そうなものだ。本なぞ生まれてこの方対峙することを避けてきた私でもわかる。暫く顔を伏せ思考の渦に顔をつけた。
「少しくらいアクションを起こしても損は無いか.......」
食べたことが無い珍味がそこにある。だがそれを食べる力も毒なのか安全かも定かではない。
しかしそれでもかぶりついてしまうのが人間というものだろう?
私は歩き出す。彼女のすぐ目の前で屈んだ。
本の端を摘み少しずつ、ゆっくりと持ち上げて行った。
「取れてしまった...」
滲んだ手汗を感じつつゆっくりと中身を見る。
何も無い。
ただただ白紙のページが続いていく。厚紙のように荒い面をしていただけであった。
「はぁ、進展は無しか」
辞典のような分厚さで更には幽霊の持ち物だ、さぞかしおぞましい話や奇々怪々な話でも書いてあるのだろうかと勘繰っていたが肩透かしを食らったような気分になる。
そして最後のページをめくる。
そこには今までとは違い一面をインクで滲ませている。
アラビア語のような、癖の強い筆記体のような、どことなく見た事あるようなないような字だ。
しかし読める。単語の意味も、文法すら知らいないしかし私は知っている。
「「世界は調合し合う。水滴と水滴が混ざり合うように、磁石どうしがくっつくように惹かれあってしまう。だが、それには代償が伴われる。世界の色は強い。様々な色々が飛び合い互いが互いを輝かせるために存在している。そんな者同士の調合はどんなものになるのか。
潰し合いだ。より汚く濁っていく。行き着く先は黒1色。これを読んでる君どうか英雄になってくれないだろうか。それも世界を救うような。気負う必要は無い、手段は確立している。これを持っている子に出会うだけでいいのだ。たったそれだけで君は名誉を手に入れられるはずなのだ。だからどうか世界をあの子を宜しく頼む」」
「オカルト系と言えばオカルト系ではあるけども...」
眉間に皺を寄せ目頭を強く押す。ここまでの目眩は初めてだ。
「ファンタジー寄りとは驚きだ」
ふと彼女の方へ視線をあげる。
小麦色を背景に彼女は立っていた。いつもの様な体育座りではなくただ周りを探すように見渡している。
「動けるのか!」
興奮のあまり発する声はまたしても無視。彼女はキョロキョロと視線を動かせるだけだ。時には屈み、自販機のそこを除くように地に這いずる。
その探す動作に珍しく私の勘が働いた。
「ひょい」
本を優しく目の前に落としてみる。
彼女の様子はそれまでとは一変して、本を持ち上げ、そして頬を濡らしていた。
顔を歪ませ、その顔には少しの怒りを感じらせていた。
その様子に驚きつつも思考の海に入った
整理しよう。
まず彼女は幽霊なんてものにとどまらず、世界を救う勇者のような異星人らしい事。今まで無視をされてきたとばかり思っていたがここに来て、場所が違う可能性がでてきた。あの本を探す所作、まるで部屋の中を散策するようだった事を鑑みるに。
「時空が違うのか?」
次に、この本。どうやらあちらとこちらの唯一架け橋のらしい。こちらが触れることも出来るし、恐らく予想の範疇でしかないが書くことも出来るはずだ。その間彼女の時空では消えるようだが私が持つことさえ無ければあちらえと帰る。
最後に、この世界が終わりそうということ。黒になるが具体的にどうなるかは知らないが、確実にろくでもない終わり方だろう。しっかし救済に何故俺が解決させるのか全く心当たりがない。
気づけば日が傾きかけていた。
「まさかこんなことになるとはね...」
高揚というのだろうか。頬はほんのり赤く染まり、遠足を待つ幼児のようだと自分でも笑ってしまう。
「いいじゃないか飽きてきた頃だし、世界の終わりくらい救ってなんぼってもんだろ」
まだ泣いている彼女を見て立ち止まる。
「明日にするかぁ」
翌朝早速俺はポールペンを握りしめあの場所に向かった。
「よかった」
彼女はいつもの様に腰を落とし、木の下で本を眺めていた。
「悪いが少し貸してもらうよ」
どこで拾ったのかもよく分からない知識を使いスラスラと綴っていく。
数分して本を落とすと彼女はすぐに本を掴んだ。
そして目を見開いている。
「全く、初めてが筆談とは」
彼女は目線を滑らかに下げ読み終えると、すぐそこにあったであろう何かを握りこんだ。
数分が経ち、彼女が書き込むことを辞めると立ち上がり腰を曲げ頭を下げる。まるでラブレターを送るように本を両手で頭の前へと突き出した。
それを受け取り中身を読む。
こちらこそどうもはじめまして。まさか人と話せるとは夢にも思いませんでした。それも救世主様とお会いすることが出来るとはラッキーな日もあるものですね。しかし残念な事です。既にその案件は終えていますよ。救世主になれなくて残念でしたね。
そう短く丁寧な筆跡で書かれている。
驚き顔を上げ彼女を見る。少し不安そうでありながらも期待を抑えきれないそんな顔が少し可愛く思えた。
私も負けじと文章を書き連ねた。そして返事が返ってくる。
少しお騒がせしてしまいましたね。この本に書いてある事は全て真実ですよ。世界が終焉を向かうそうなことも、救世主を呼び寄せるために握り締めたことも。
まぁ長い間持つかいもなく、この件は終わってしまうのですがね。全く困ったものですよ。
そうそうこの黒く塗りつぶされという意味ですがそのままですよ。世界は秩序を保てなくなる。やがて色どうしがぶつかり合い最終的に黒、つまりは機械のオーバーフローみたいな状態になるのです。そのせいで機会はブルースクリーンに落とされる。そんな感じですよ。激しくぶつかりあった空間から黒に飲まれていき最終的に黒一色になる。まぁ私もこの本も有効活用されなくこの件は終わりますがね。
驚愕というかなんというか
なんというか昨日の決意を返して欲しい感じだ。
骨折り損のくたびれもうけ、何度も味わってきたものである。考えてみれば当たり前の事。そりゃそうかもしれないな。一介の農家に助けをこう案件なんか世界が力を合わせればどうってことも無いか。
少しほっとしたような惜しい事をしたような気分だ。
それからはたわいのない話が続いた。あっちの世界では魔法が発展してこの世界異常に文明が発展していて、人口が数年前に200億を突破しているだとか、貴族の育ちで聖女としての職に就いているだとか、そうそう彼女が14歳というのも驚きだ。
弟が大道芸人の道をいきお父様がカンカンに怒っていた事。結局はお母様に解き付されて応援していた事。お母様は強い人でよく剣を教わっていたこと。そのせいで小さい頃から傷が多かったがそれでも楽しかったこと。お母様が作ってくれたシチューはこの世で1番の絶品だということ。
友人のナターシャは魔法の天才だけど、変人でよく変な魔法を作っていたこと。ナターシャが実験の事故で町中に服が溶ける薬が散布された時は大変だったこと
弟が大道芸人の道でできた嫁を作ったことを報告しに来た時お父さんは嬉しさのあまり泣いてたこと。
そうして会話していくうちに日が傾いてきた。
そろそろ帰るよ。
もうですか?
ああ、こっちはもう夜でね。それじゃまた明日。
少し時間を空けて彼女は書き始める。何度も消したり書いたりをして、結局は口を開き
さようなら、また明日。
彼女は最高の笑顔でそういった気がする
朝日が昇る直前の頃だ。少し早すぎるかもしれないが、たまにはそんな日もいいだろう。あぜ道を歩きながら道を歩く。次は彼女と何を話そうか。今度はこちらの話でもするか。そう考えていると時間は早く動くもので彼女の居る木が見えてきた。遠目ではあるが小麦色のその髪がいい目印となっていた。
そして本を残しなんの面影もなく◼️◼️は消えていた。
本にはたった一言
ごめんなさい
私はその日は何もしなかった。
思い出すことがある。
結局◼️◼️はどうなったのだろうか。
本当は世界と共に◼️に塗りつぶされたのではないか。
◼️◼️とは誰なのか。
この本の事もよくわかない。文字も読めないし、どうしてこんなにも愛おしいのだろうか。
甘い思い出な気がする。休憩の途中誰かに話しかけていた。それは容易いことではなかったけど、私の人生の中で1位2位を争う衝撃的なことで、たのしいこのはずだ。
だったらなぜこんなにも、後味がビターだと感じてしまうのだろうか。
私は思い出せずにいた。
「思い出って厄介なもんだねぇ」
風が靡く
「あら?救世主様はそんなに私の事が恋しかったかしら?」
[完]
5/2/2025, 6:57:08 PM