早朝、仏壇の前で祈り、神棚に対して祈る。礼節を重んじているように見えるが、お供え物が用意されていないことに気づくと苛立ちながら炊飯器へ向かう。なぜなら本当の意味で祈っている訳でも感謝している訳でもないからだ。
ただの習慣的行為。他者よりも優れた人間であると満足したいだけの"慎みの見せびらかし"。
祈りの果てにインスタントコーヒーが残っていなくて怒鳴る。故人も呆れ果てているだろう。
"そんな態度なら、もう祈らなくていいよ。さっさと行ってくれ"
題『祈りの果て』
酒場に入る。服を見れば役割が分かる。戦士、僧侶、武闘家、魔法使い、そして勇者。なら私は何なのか。パンツ一丁に木の棒と鍋の蓋である。酒場の女性店員に叫ばれ衛兵がやってくる。「この変態め!」
なるほど私の職業は変態らしい。その後、囚人に転職した。さてこれからどうしようか。出来ることが限られている方が肝が座る。
心の迷路に苦しむのは選択肢が多すぎるからだ。
限られた選択肢から選ぶ方が圧倒的に生きやすい。
題『心の迷路』
これ以上は危険だと中身を捨てる。最後まで飲むことは絶対にない。なぜなら"最後まで飲んでしまった"という思いに支配され苦しみ続けることになるからだ。不可解に思うかもしれないし、食品ロスを減らそうとする社会の風潮から逸脱したマナー違反だと指摘されるかもしれない。だがティーカップにお湯を注いで飲むことによって得られる効果は"安心感"の筈だ。飲むことで安心を得る人もいれば、残すことで安心を得る人もいる。「ああ良かった、今日はお腹が空いた状態で食事を終えることができた」ホッと一息つく。
題『ティーカップ』
そんな感情もあったね。完全に銀シールで覆われていて存在自体を忘れていた。
寂しくはないよ。ただ苦しいだけ。
昨日は、ずっと食べたかったあんぽ柿で具合が悪くなってガッカリしていた。頭のフラつきとお腹の苦しみが精神を支配していた。耐えきれずに飲み物を飲んだりキャラメルを舐めたりして気を紛らわそうとして一層苦しくなる。何時間も読書をして苦痛を追い出そうとする。"誰か助けて。この苦しみを終わらせて"
寂しくはないよ。ただ苦しみからの解放を求めて縋るように手を伸ばす。
気持ちがプツンと切れてしまった。がしゃんと身体が崩れ落ち表情からは生きる気力が抜け落ちていた。
題『寂しくて』
目に見える失敗よりも潜在的な顧客を逃す方が圧倒的に罪深い。
秋冬はアパレルショップで服を見るのが楽しい。大きな鏡に映る姿は「そういえば自分はこんな見た目だったな」と再確認させてくれる。妄想先行で茨道を歩く隣には何の障害もない舗装された道が用意されていることを思い出させてくれる。でもそんな気分は長続きしない。
「贈り物ですか?」
アパレルショップの店員が話しかけてくる。
なーに?せっかく楽しく服を見てたのにボクが着るとは思わなかったの?「ただ見てるだけです」笑顔で返す。心の境界線を超えてきた。
ちょっとグサっときたなー。せっかく可愛い服があったのに、そんな風に言われたら自由にコーディネートを楽しめないじゃん。あーあ、そこの大きな姿見に持っていって合わせてみたかったな。
絶対にこの店には投資しない。トラウマがついた服は可愛くない。
題『心の境界線』