「夏」
バスを降りると、むっとするほどの熱を帯びた風が体中に当たる。
祖父母の家まであと少しの道を歩く。真上に登った日はじりじりと頭を痛めつけている。
雪深いこの土地は、春が遅く短い。
道路側の庭に植えられている向日葵、マリーゴールド、サルビア、塀から垂れ下がる凌霄花、他の地域では季節の過ぎた紫陽花も皆一斉に咲き乱れる。
側の田んぼには露草、月見草、青々と生い茂った草から綺麗な青や桃色の顔を出している。
耳の側をぶーんと音がして反射的に頭を振る。
蜂が凌霄花のオレンジの花びらの中に吸い込まれていった。
耳に残った嫌な音を振り払いながら歩きだす。
遠くでカエルの鳴き声が聞こえてきた。
生き物は夏を生きている。
灼熱の地獄のような暑さの中、次の命を繋ぐために咲いて、飛んで、鳴いている。
ここへ来ると命がたくさん有ることを思い出す。
私も生きるために、まずは冷たい麦茶をもらおうと祖父母の家の門をくぐった。
「1年後」
6月10日
あの日から1年経ちました。
あなたのおかげで10キロ痩せました。
いつもありがとう。
―――
今日はおやすみします。
「子供の頃は」
―――
喫茶店。
小さなテーブルを挟んでAとBが座っている。
Aはスーツ姿。Bは制服姿。
Aはコーヒー、Bはジュースを飲んでいる。
A「私、早く大人になりたかったんだよね。」
B「そうだったの?」
A「親の顔色伺って生きてるのが嫌だったの。もっ
と自分の好きなことやりたかった。」
B「…好きなことって?好きなだけ明太子おかわり
するとか?」
A「う、うーん…そういうことではない。」
B「あれ?家だと高いし塩分多いからって一回の量
が決まってたの。Aもそうでしょ?」
A「まあ明太子の量は…って言う話じゃなくて、趣
味とか進路とか結局親のいいなりになっていた
から、自分に嘘ついて誤魔化して、青春がもっ
たいなかったなぁ…」
B「…わからないなぁ。私はまだ子どものままがい
い気がする。」
A「まだ中学生だよね?高校生くらいになって運命
を変えるくらい好きなものに出会ったら、また
違ってくるよ。」
Aの携帯がなる。
画面を確認するA。
B「そっかあ。これからか。」
A「ごめん。行かなくちゃ。」
B「ううん。…大人になって良かった?」
間
A「うん!仕事の傍ら猫の保護活動は充実してる
し、親に反対されてた猫は3匹も飼っているか
ら毎日楽しい。そっちも頑張ってね!」
A慌ただしく退場。
B「大人になって良かった…なら良かった。」
暗転
「日常」
早く日常に戻りたい。
あなたの笑顔が見られる日々が早く来てほしい。
―――
体調不良にて今日は休みます。
早くケガが治りますように…
「好きな色」
「…紫陽花の色かしら。」
細い指を口元に当てながら彼女は答えた。
桃色の唇に透き通るような白がよく映える。
「えっ?アジサイの色?それって青?ピンク?」
僕の矢継ぎ早の質問に彼女の目は細まる。
「そんなに早く答えを言ってはつまらないじゃない。少し考えてみて。」
そう微笑んで言う彼女は、テレビで見る美人な女優さんよりも儚げで綺麗だった。
…そうはいっても、僕は彼女の好きな色を早く知りたかった。
次の日、また彼女の家を訪ねた。
「こんにちは。…あら、この袋は?」
僕が無言で渡した紙袋を彼女は受け取る。
「この前、転んだとき助けてくれたでしょ。そのとき貸してくれたハンカチ汚しちゃったから…」
「ああ、家の前で転んだときね。いいのよ、昨日ハンカチ洗って返してくれたじゃない。」
「でも、完全に綺麗にならなかったから…」
僕は居たたまれなくなって辺りを見回す。玄関だけでも豪華な家だとわかる調度品が並んでいる。匂いも甘い花の香りがする。どこの友人の家とも違う。
「母さんに新しいの渡してこいって言われて、好きな色のハンカチを…」
「だから昨日好きな色を聞いてきたのね。」
彼女は合点がいったようで、ふふっと笑った。
花のように可愛らしい笑顔。
「ありがとうございます。お母様にも伝えてね…薄ピンクの綺麗なハンカチね。」
結局、アジサイの色がわからなかったから彼女に似合いそうな色にした。
「アジサイの色じゃないかも…」
「いいのよ。この色も紫陽花にはあるから。…あなたが選んでくれた色が私の好きな色だわ。」
たぶん僕の顔は真っ赤だっただろう。
そんな僕を見て彼女はまた微笑んだ。