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3/14/2024, 10:49:08 AM

8.安らかな瞳

 テーマパークを楽しんだ私たちは、祖父母にお土産を買うところだった。母のカバンから軽快な音がなり、母は「先に見ておいで」とだけ言って携帯を手に取った。私たちはそんなことも気にも止めないで、心を踊らせてお土産を見ていた。しばらくして、母は青ざめた顔をしてやって来た。
「じいちゃんの命が危ないって。」
私は母に同情するように顔を青くして、その事実に反応した。正直、祖父は以前から身体がか弱く、いつ死んでもおかしくはなかった。そう思っていても、不安な気持ちがこみ上げてくる。幸いなことに、テーマパークから祖父の病院までは数kmほどだったので、心を落ち着かせようとする。私は買い物中の妹の手を取って車へ走った。妹は何が起きたかわからないまま、買い物を中断されて不満なのが伺える。そんな感情はいったん放っておいて、私たちは車に乗って病院へ向かうことにした。妹は慌てふためいていたが、私があんな事実を伝えた途端、悲しみをあらわにして沈黙していた。
 そんなことをしているうちに病院へ到着した。祖父の病室の番号を確認して急いで駆けつけた。祖父はくたびれたような様子で天井を見つめている。私達たちが来ても驚きも嬉しさも表現せず、ただ死を待っているだけだった。もうどうしようもできなかった。私たちに人の命を扱うことなど到底できない。目の前で力尽きていく祖父に私は何もできない事を悔やみ、手を握った。ほんのり温かい手で平常心を保ち、祖父の生きている姿を目に焼き付ける。 
 しばらくして、点滴の機械が鳴りだした。ピ、ピ、ピーーィ。その機械には楕円が表示されており、その楕円が私たちにぽかりと空いた穴を表しているようだった。そして、祖父は目を閉じ、永眠した。
 私たちは静かに涙を流し、生前の祖父の瞳を思い出す。とても苦しそうな瞳だった。いつ襲ってくるかわからない敵とひたすら戦っていた。私たちには想像もできないような戦いが祖父の身体で繰り広げられていたのだ。それでも祖父は強靭な敵に勝つことができず、苦しい顔をして瞳を閉じた。でも、私には瞳を閉じる数秒間、安らかな顔をしていたように思えた。その顔は生涯対の満足感と私たちの幸福を願うような表情に思えた。私はその表情を見て安堵しつつも、祖父の命を途絶えさせた敵を今でも恨んでいる。

3/10/2024, 1:14:04 PM

7.愛と平和

私は彼女のことを愛している。彼女も私のことを愛している。とても最高の構図である。性の違う人間が愛し合って幸せな時を過ごす。いいじゃないか。理想的ではないか。平和ではないか。ただ、愛というものがプラスの作用だけをもたらすのではない。愛し合っている2人を見て、苛立ちを募らせる人やいても立ってもいられなくなる人などが存在する。美しい構図が平和だけで満たされているという保証はどこにもない。どこかでそれを羨ましがる人や邪魔をしようとする人が一定数いるのは承知している。そう考えながら私は今日も彼女を愛す。誰が私達のことを羨ましがろうが、気にしない。殴りにかかろうが、その関係を終わらせる奴が登場しようが私は目の前の女性を愛す。そして死ぬ間際に彼女が私を気にしてくれていたらそれで私の任務は果たせたことになる。そして、平和が壊されようと、私は愛という抽象的なものを体現するまで愛し続ける。

3/8/2024, 9:41:16 AM

6.月夜

先ほど見た月夜は綺麗だった。なんの淀みもなく、真っ黄色でとても美しい。月は私たちに素の自分を晒している。それに対して、私は自分の意見を表に出さず、自己中心的な心が腐った人間だ。月を見ると何故か勝手に嫉妬してしまう。こんなに完璧な物体が私の近くにあればその存在を羨ましく思ってしまうではないか。そんな私と全く持って対照的な月は、物理的距離的でなく、存在的も遠いということは言うまでも無い。月に照らされた私は慰められることもなく、丸い球体を憎んでいた。しかし、月は私のことを気にも止めず、ひたすら完璧な姿を維持し続けている。日によって欠けようが、時が経てば完璧に戻る月が私は羨ましかった。そんな月を見て、自分の不甲斐なさを自覚しつつ、心を落ち着かせて眠ることにした。

3/3/2024, 10:17:38 AM

5.ひなまつり

女の子の成長と健康を願う日、それが「ひなまつり亅だ。小さい頃はよくこの日を存分に楽しんでいたが、いつの間にかその日ということを忘れて他のことに意識を持つようになっていた。ひなまつりは所詮、誰かが決めた記念の日であり、私には関係がないと思うようになったのかもしれない。誕生日だって、他の記念日だって、気づいたときには今日がその日だと後になって意識が追いつく。カレンダーに書いてなかったらきっと忘れていただろう。そんな日を噛み締められるような感覚があれば。いつかそうなる日まで私は日々、健全に生きていこうと思う。

3/3/2024, 6:07:26 AM

4.たった1つの希望

希望が無いなんて言ったら期待外れだろうか。実際、私は希望と言えるものがない。毎日平板な生活に希望なんてない。息が途絶えて、心臓が停止するまで希望なんて感じずに暮らしていくのだ。今のところは。しかし、'希望'という
言葉が存在する以上、私の周りにはこれから希望となるものが満ち溢れている。今はそれを得ようとしている段階なのだ。希望が無いなら日々つまらない人間であると感じられるかもしれない。だが、そんなことはない。希望を探している時間こそが実に楽しいのだ。希望を見つけてしまっては、逆に人生が贅沢になってしまう。何も考えずに暮らしている大富豪より、死ぬ気で生きている庶民のほうがある意味楽しいであろう。それから数十年間の月日が立ち、棺桶に入っている自分に問いかけた。希望は見つかった?
私はその質問に答えるように口の両端をゆっくり上げた。

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