『時計の針』
時計の針は戻らないもの。過ぎた事、起こってしまった事は覆せない。
放った言葉も同じこと。意図せずにしろ、故意にしろ、相手が傷つくような事を言ってしまった時、“それ”を口にする前には戻れない。
そして、“それ”によって傷ついた相手の心は、どんなに時間が経っても癒える事なんて無い。
言われた方は、何時まででも心に残ってるし、きっと一生恨んでいる。
言った方は、過ぎた事だと忘れてしまえば心になんて残らないし、似たような形でまた“ナイフ”を振るう。
だから大切なんだ。かけがえのない貴方に傷をつくらない為に。貴方の隣に立つ資格を失わない為に。
傷つけてしまった時の誠心誠意の謝罪も。
「私はこんな“ナイフ”を振るってしまう」人間なんだという戒めも。
『1000年先も』
最近スピリチュアルな題材の動画を見て、「生まれ変わっても○○と一緒にいたい」という願いは、神様に通りやすいらしいと知った。半信半疑ではあるけれども。
端的に言えば…来世があるのなら、彼とはまた一緒になりたい。
毎回毎回(毎世毎世?)そう願ったとしたら、1000年先も彼と一緒にいられたりするのだろうか。
それとも、今世に彼と出会えた事が既に、積み重ねた1000年の結果なのだろうか。
『勿忘草』
「私を忘れないで」
それは、どれほど重い言葉だろうか。
言う方は、相手が頷いてくれたら、満足して笑みと共に目を閉じるのだろう。
言われた方は、目を閉じた相手に縋り付いて、枯れることのない悲しみに溺れるのだろう。
言われなくとも、決して忘れない。…だからどうか。
「貴方を覚えていられる“幸福”」を、
「貴方を忘れない為の“義務”」にすり替えないで。
『ブランコ』
公園の遊具の不思議。
私が子供の頃は、実家近くの公園には今よりもほんの少し多くの遊具があった。でも「安全の為」を理由に少しずつ撤去されていった。今あるのは、ブランコ、すべり台、シーソーくらい。
この中で、ブランコが撤去されていないのは、凄いなと思ってしまう。
決して、なくなって欲しいわけじゃない。…のだけど、上記3つの内なら1番危険度は高いのじゃなかろうか。
幼児の頃、持ち手の鎖に指の皮膚が少し挟まって痛かったし、落ちて擦りむいたし、追い打ちをかけるようにブランコの板が後頭部にぶつかったし。
笑い話で済む程度だから撤去にはならないとは思うのだけど、私は決して忘れないぞ。
後頭部にぶつかった板がおでこに向かって追撃してきた事を。
『旅路の果てに』
何が「旅」で、何が「果て」だろう。
安直に「人生での選択」と「死に際」と捉えてみる。
そろそろ三十路に差しかかるけれど、人生100年時代と言われる今日この頃、まだまだ人生はこれからだ。
理想を言えば、彼との子供を産んで、子育てして、程よく長生きして、健康寿命の間にぽっくりいけるといいな。
でも、結果がどうなるかなんてわからない。事故で早死するかもしれないし、入院生活が長引くような大病を患うかもしれない。それ以前に、なにかの理由で結婚生活が破綻するなんてこともあるのかもしれない。
「今」の私が望むのは、彼との日々が1日でも長く続く事。そのための選択を、1つ1つ…悩みながらでもこなしていこう。
「果て」に行き着いた時に、後悔しないで済むように。