『「ごめんね」』
私は小学生の頃に1度、母に手紙で「出来損ないでごめんなさい」と伝えた事があるらしい。体験教室で何かを作って、メッセージを添えて渡そう…的な催し(?)の手紙との事。
少し前、母と一緒にご飯を食べた時、話の流れで「こんな事があったねー」と教えてくれた。(どんな流れだ)
断っておくと、毒親などでは断じてない。多少の衝突はあれど、母娘として愛してるし、愛されてる自覚もある。そこに疑問は持っていない。
その手紙は、十数年経った今も母の財布の中に保管されている。
戒めとして。「出来損ない」と子供に言わせてしまったのは、母が間違いなく悪いのだから、と。
1番タチが悪いのは、言った当人がこれを全く覚えていない事。
当時そんなに思い詰めていた…なんて記憶は全くない。そして私の当時の性格を考えると、ちょっと捻ったメッセージカードにしたかった結果、斜め上な方向に捻じ切った可能性が高い。
だから、もう…ひたすらに、謝るしかなかった。
「ごめんね」
必死に子育てしてくれたのに、重い言葉を書いてしまって。
「育ててくれてありがとう」
私はお母さんの娘でいられて、ちゃんと過去も現在(イマ)も、幸せなんだよ。
『神様へ』
今回は、神様へのお礼を。
彼と出逢う機会をくれてありがとう。
彼の目に、私を留めさせてくれてありがとう。
私に、彼の想いを受け止める勇気を、湧かせてくれてありがとう。
ただ単純に、各々が行動した結果かもしれないけれど、きっとそれぞれの場面で背中を押してくれただろうから。
これからきっと、喧嘩する事もあると思う。例え衝突しても、お互いの価値観を擦り合わせて、彼と共に歩んでいきます。
貴方が今までにくれた機会を。これからあるかもしれない気まぐれな鼓舞を。
私達の幸せに繋げていく為に。
『快晴』
先日、夫婦共々コロナにかかりました。
5日間の出勤停止と自宅療養期間があったのですが、その内の4日間、お互い40℃近い高熱に魘される始末。何とか2人共、入院が必要なほど重症化することは無く軽快して、仕事にも復帰する事が出来ました。
…仕事に行かなくて良いとしても、あの4日間をもう1度体験したくは無いですし、健康って素晴らしいと思う今日この頃。
もう1つ、酷く残念に思っているのは、花見ができなかった事。発症した日に、近くの河川敷に花見がてら散歩に行くはずだったのですが、復帰する頃には半分以上が葉桜に…(泣)
空と桜のコントラストを楽しめなかったのは残念ですが、今度のお休みに散歩に誘ってみようかな。
ぽかぽかした陽気の中で貴方と手を繋いで歩く時間は、いつも至福の時間だから。
『泣かないよ』
自慢できるのでは、というレベルで私は泣き虫です。
映画ならベタなお涙頂戴シーンで号泣するし、仕事で落ち込む事があると泣きに泣いてストレス発散するタイプ。末っ子なのもあって、子供の頃とかは特に「泣けばどうにかなる」と思っていた節もあるのかな。
でも成長の過程で、ある程度は「泣いていい場面」と「泣いてはいけない場面」を弁えるようになった。
仕事関係のストレス発散に泣くにしても、当事者はもちろん職場の人に確実に見られない場所…とかで。
「泣く」という行為は、高確率で相手を悪者にするから。
背中を丸めて弱者を演じる卑怯者じゃなくて、背筋を伸ばしてまっすぐ相手に応える実直さを、忘れないでいたいから。
『スマイル』
「笑顔」「微笑む」は、ふとした瞬間に出るもの。「スマイル」は、意識して出すもの。 …勝手ながら、そんなイメージがある。
最初は「スマイル」だった。
でも今は、美味しいものを食べた時…隣でくつろいでいる時…バラエティ番組を見ている時…
様々な場面で貴方といる時に出てくる表情は、「心からの笑顔」だと確信がある。
だって今まさに、この文を書いているスマホに映った私の口元は、笑んでいるのだから。