空に浮かぶしろくてちいさな球体に、ぽっかりと空いたおおきな穴。うまく中心を捉えきれなかったらしいそれは、しかし大きな影響を及ぼして、その日の球体はいつもとはまったく違う、変な形になってしまう。ぼくは、そんな球体が大好きだった。
父さんや父さんの友達はこりゃ変だ、とムリヤリ矯正しようとしてきたけど、見れば見るほど胸が高鳴るのを止められない。つまりは何も変わらなかった。あんなものに屈するぼくではないのだ、へんっ。
ささやかな丘に建つちいさな小屋。心安らぐぼくの居場所だ。そんな屋根にのぼって、ぼくは今日も空を見上げる。
みんなの嫌いな黒い歪み。
ぼくの大好きな月の窪み。
何度考えても、なんでみんながアレを好きになれないのか、ぼくには到底わからなかった。
▶三日月 #52
「幸せってなに?」
「いきなり哲学吹っ掛けてくるのやめてくれる? 私が洗ってるこの食器は誰のだと思ってんの」
「そんなの今はどうでも良くて」
「良くないよ? 今すぐ代わってやろうか、あ?」
「いいから。きみにとって幸せってなに?」
「よし貴様こっちに来い、今すぐにだ」
「……で、洗い終わったけど」
「ありがと、すごい助かる~。なんなら明日からもやってくれない?」
「いいけど、その代わりさっきの質問に答えて」
「さっきの? ……ああ、幸せってなに、だっけ」
「そうそれ」
「う~ん……。こうしてゆっくりコタツでぬくぬくすることかなぁ」
「そっか」
「そう」
「ふーん」
「……あんたは?」
「おれ? おれも家でぬくぬく暖まることだよ~」
「へえ」
「きみと一緒に、っていう条件下での話だけど」
「あっそ」
「うん」
「……」
「……へへ」
「なに、気持ち悪い」
「ああうん、ごめん。こうして照れてるきみを見れるのもおれだけだと思うと幸せでつい、ね」
「……あほらし」
▶幸せとは #51
私にどんな未来が待ち受けているのか私自身もわからないし、あなたの努力が今後どう実を結ぶかなんて殊更皆目検討もつかないけれど。
一年間お疲れ様でした。
皆様、どうか良いお年を。
今夜、うちの会社に、またひとつ新たなカップルが誕生したとのこと。
正直どうでもいい。妬みでもなんでもなく、只々ほんとうに心底どーでもいい。けれどマウントだけは取らないでくれ。取るのは悪徳ではない商法での契約だけでいいんだよ。
▶イブの夜 #50
灰色の雲。白い雪。よくよく見ると大小も形状もすべて異なるそれらの向こう側を、何をするでもなくただじぃと見つめる。
夏はもっと広かったので狭いと思っていたけれど、こうしていると、やはり空は空なのだなぁと悠長に考える。指先は悴んであまり感覚がない。
「──やぁっと捕まえた!」
そんな左手に、柔っこくて温かいものが触れる。見ると、よく知った顔が鼻を真っ赤にして、肩で息をしていた。
「やあ。遅かったじゃないか」
「遅かった、じゃないんですよ! 紙切れひとつっきり置いていったい何処に行ってたんですか」
「いや~、こんな見事に雪が降っていると、もっと近くで見てみたくなるものだよねぇ」
「そんな悠長なっ」
だいたい貴方は──と、いつもどおりのくどい説教が始まる。やれやれ、心配性なひとだなぁ。
「お説教はあとで聞くから、一先ず家に帰らないかい? 君もこんな寒い中を走っていたんだ、随分と体が冷えてしまっただろう」
「誰のせいだと……?」
むっと口を尖らせるそのひとの手をひいて、僕はもうすっかり冷えてしまったから温かいお湯に浸かりたいなぁと言えば、眉間の皺も少々緩んで、仕方ありませんね、と手をひかれる。
ぼくよりも低い位置につむじの見えるそのひとの背中を眺めて、あんなに小さかったのに、もうこんなにも大きく立派になったのか、と感心する。ひとの成長とはこんなにも早かったのか、と。
他人に心労を掛けるのが嫌で常に心配する側にいたものだけれど、たまには、こうして心配されるのも悪かないな。
少し遠くにあるあたたかなオレンジから、芋粥の匂いがした。
▶大空 #49