NoNameNira

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10/28/2023, 3:41:26 PM

暗がりの中で。

 暗い、明るい。この表現は、物理的なものだけではなく、精神的なものにも使う。「暗がりの中で」というお題で脳をよぎったのは、洞窟を抜ける非現実的な映像と現実的に直面する状況。今回は後者の話。

 暗がりの中で人がすること、出来ることというのは限られている。少ない光を頼りに行動する。おそらくそれが限界。ただ、暗がりだからこそ休まる状況もある。個人的には、嫌いではない。ただ、こと精神的なものになると別の話。
 精神的に「暗がりの中で」何かをするというのは負担が大きい。少ない光の中でもがいているような状況に近いかもしれない。頼れるものが少ないのか、抜け出せる手立てが見つからないのか。いずれにせよ早く抜け出したいものである。

 暗がりの中で、何を探しているのか。それは人・状況によりそれぞれ。目的は違うものの、「暗がりの中で」というように、完全に暗くはない。暗くなっていくのか、明るくなっていくのか、それはわからない。
 それでも今は僅かにでも光がある状況なのは間違いない。その光を逃さず、今出来ることをやるのがベストなのでは、と私は思っている。

 暗がりの中の洞窟を抜けると、新しい景色が見えるはず。雪景色が見えてくれば、それは小説の世界。

10/27/2023, 3:33:38 PM

紅茶の香り。

 好きな紅茶がある。ヌワラエリヤだ。初めて知ったのは約10年前。調理師として勉強し、未来に夢見ていた頃。ダージリンという響きは聞いたことあったが、初めて知ったヌワラエリヤ。
 もともと紅茶は好き。珈琲も好き。家で淹れるなら紅茶かなと思っていたところで、出会った。

 紅茶専門店に足を運び、吟味していた学生の私。何もわからない。声をかけてくださったのが店主。どんな紅茶が好きか、と。私はストレートが、好きだった。それを伝えて、返ってきたのがヌワラエリヤ。それからずっと、お気に入りの紅茶。
 ミルクで飲むならディンブラ。でも私はストレートでよく飲むので、ヌワラエリヤが欠かせない。

 ヌワラエリヤの紅茶の香り。「私紅茶よ」というような派手な香りでは無いが、芯がしっかりしていて、紛れもなく紅茶であると感じれる。まさにストレートで飲むにはこの子が一番良い感じ。

 今すぐにでも、淹れて飲みたい、夜更けすぎ。

10/26/2023, 1:48:36 PM

愛言葉。
 この言葉が変換できることにまず驚いた。なるほど、存在するのか、と。
 字面を見て、2つ思い当たった。まずは率直に「愛の言葉」。そしてもう一つは「愛を確かめるための言葉」。正しいかどうかはわからないが、私はそう感じた。

 後者の話を少し広げよう。
 「愛を確かめるための言葉」は、私の中で合言葉のような気がしている。いわゆるダブルミーニング的なニュアンス。どんな言葉があるかな、と思考を巡らせてみると、使い古されてもなお鈍く光り、存在感のある言葉が見つかった。

「月がきれいですね」

これは、まさしく、ではないかと思った。と、同時に不安を払拭するための「私のこと好き?」や、記念日にいう「今日は何の日でしょう」も、ある種、愛言葉ではないかと感じた。
 どれも須らく、返答ありきでありながら、好意を確かめる言葉。まさしく”合言葉”ではないか。

 私はこんな言葉遊びが好きだ。初めに綴ったように、この言葉を変換できることに驚いた。第一に思い浮かんだ変換候補は「合言葉」であったからだ。
 そんな私の些細な思考を、今日は言葉に。そして、私が妻によく使う”愛言葉”を探すため、筆を置くことにする。

10/25/2023, 4:40:09 PM

友達について。

 友人は少なくないと思う。かと言って、多くもない。
多い少ないの線引きをどうするか考えてみたら、50人以上は多いのではないかと思う。そして、友達の定義とは何か。これも千差万別。私は、気を使わずにイベントに誘えたり出来るのは友達かと思っている。
 例えば、職場の方々とは仲良い方であるが、「あのイベント好きかな」「この日に誘って迷惑じゃないかな」などと当たり前に考える。勿論、友人でも考えるが、まず誘ってみようかな……と思うスタートの違いはあると思う。

 思えば、友人に助けられている人生である。友人に恵まれている。彩りを与えてくれていると思う。
 料理が好きなので、食べてくれるのも嬉しい。ボードゲームが好きなので、一緒にしてくれるのも楽しい。歌うこと、演奏すること、バドミントンをする、映画の感想を言い合う……私にとって友人とは好きを共有できる人なのかもしれない。
 なぜ一緒に過ごすのか、負担にならないのか。そう考えたとき、それよりも会話をする楽しみはかけがえのないものである。一人では出来ないことで、私には無い価値観や情報を与えてくれる時間でもある。

 友人とは、物々交換のギブアンドテイクではなく、目に見えないもののギブアンドテイクで成り立っている。私自身はそういう解釈をするのが、自然だと。思慮を深めて、思い至った。