幸せな時に、時を止めてと願ったらいけない。流れの中にあるから、しあわせだと思える。幸せであり続けたいなら、ほんの少しすつ変化し続けなくてはならない。
それは、
そのままのシアワセだとすぐ飽きて、幸せだと思えなくなるから。
時が止まったように生きるのは、自分を平にして、変化をなくしてしまった時。
壊れかけのradioって、夫婦喧嘩した時の歌かな………。
♪なにもきこえない…♪→→→夫、
♪なにもきかせてくれない…♪→→→わたし、
♪ぼくのからだがむかしよりおとなになったからなのか…♪→→→→夫、
ちがうっ、そうじゃないっ!→→→わたし、
何がイケナイのか分からない!→→→夫、
♪ししゅんきにしょうねんからおとなにかわるーー♪みちをさがしていたけがれのないままに♪→→→夫(盛りだくさんの言い訳)、、
♪ほんとのしあわせおしえてよ♪→→→わたし、
♪壊れかけのレディオ♪
…………名曲です。
お義兄さん夫婦は夫婦喧嘩すると、嫁様が、旦那さんを会社休ませて仕事に行かせないらしい。すごい仲が良い。『私の話しを聴いて!、会社なんかいかないでよ!』と、そういうこと。
♪こわれかけのれでぃぉ……♪
名曲です。
花の蜜を吸う小さな鳥のような姿の、ホウジャクという蛾を見かけるようになった。
この蛾は、人間の心を和ませて、生きてる。
昆虫を標本にしたいとは思わないけど、永遠に全裸でピン止めされる姿を想像してみたら、耐えられない、屈辱的。
血管を広げると地球2周分になるって、検索して、いろんな事を想像した。
昨夜は、夫と、未解決事件だった26年前の主婦殺害事件について話した。夫がわたしに、わたしがどこの誰とも分からないヤツに殺されたら探し出して絶対刺し殺すって、
そこで自分もしぬの?と聞くと、
死なないで刑に服す、と。
予想外の話しだった。夫はわたしに対しては、淡白な考えを持っている人だと思ってた。
ほとんどの旦那さんが、たぶん、いろんな思いで、あのニュースを見たんじゃなかろうか。
どこで間違えてしまうのか、ほとんど自分では分からない。人間ほど未熟で難しくて壊れやすい生き物はいないと云われてる。
神様は、神様に似せて人間を造ったって、まじなのか、
まだ信じられん。
…………わたしの目の前に、ホウジャクを遣わせて。
今年は、尻尾がフサフサしていて、体の色は焦げ茶のリスがチロッチロッと出て来る。なんていう種類のリスだろう。家の近くで野生のリスをよく見かける。
可愛いと思う間もなく雑木林に逃げ込んで、いつもわたしをポカンとさせる。
リスも山から下りて来ているんだろうか。
職場の裏山に、猿軍団が居ることは知ってる。駐車場や道路をウロウロしたり、民家の屋根で日向ぼっこしたりしている。
今年はギャーギャー騒ぐ声が裏山から聞こえてくる。熊が近くにいるからかもしれない。
子猿は道路を上手に横断できなくて、ひかれたりしてる。親猿が、ひかれた子猿を気にして、なかなか立ち去らず、次の日の朝もウロウロしているのを見かける。
この時期、猿だけではなくイノシシやタヌキなどもひかれたりするので、道路清掃車は大忙しだ。
引っ越して来た時、ハムスターも連れてきて3ヶ月で死んでしまった。本当は土に埋めてあげるのが一番いいんだけど。
東京に居た頃は、ハムスターが死んだときも動物霊園まで、自転車で運んで火葬してもらった。
こっちでは動物霊園まで遠くて、公共の施設に頼んで引き取りに来てもらった。公共の火葬なので、タヌキやサル、イノシシと一緒に火葬されるという事だった。
小さな箱に可愛がっていたハムスターを入れて、お菓子の小さな袋に花と餌を入れてあげて、係の人に渡した。
火葬してあげるのと、土に埋めてあげるのとでは、どっちが良かったんだろう。
土だと川原に埋めることになるけど、かなり深く掘らないと、イノシシなどに掘り返されてしまうし、引っ越して来たばかりで、スコップで川原を掘る………というのもどうかと思ってやめたんだった………。
………!、
大きな猿になると、道路を悠々と横断する。『ひけるもんならひいてみな!』ぐらいの態度で、クラクションを鳴らすと歯を剥き出しにして喰ってかかってくる。
わたしは車で、猿たちのすぐそばをゆっくり通り過ぎた時に、それが気に入らなかったのか、筋肉ムッキムキの猿たちに追っかけられた。
電気槍で殺処分される熊も猪も、ひかれる猿もリスも、狸も、襲われる人間も、
本当は、かわいそうなのか、かわいそうではないのか、よく分からない。
ただ………、みんな、、何事かイライラしている。
どこかの誰かのわたしの安全のために、わたしの代わりに電気槍を握り、手を汚してくれている人達が居る。その場所と、檻罠を洗浄してくれている人達が居る。
今日は、ウリ坊が2頭、罠にかかって殺処分したと、回覧アプリに連絡が入ってた。
絶命したウリ坊2頭と、マスクした無表情の係員3名の写真付きだった。
どうしたらいいんだろ。
何ができるんだろ。
思ってるだけ、書いて気持ち良くなってるだけだ。
罠の近くに行って祈るか、それは殺処分してくれた人達に対して失礼になる、と、夫に嗜められた。
わたしに何が出来るだろ。
まずは、殺処分の現場を見るしかない。熊の殺処分現場を見学した事があるという同僚に、話しを聴いてみる。今は、実際に見て、知るしかない。
『何も出来ない、』と、ぬくぬくとした場所で言い訳と、諦め続けるだけの人間にはなりたくない。
また、
人の話しを伺う活動をする事になる。
それは、闇の中を突き進むに似ている。
気づけば、東の岩山が紅葉している。
2階の東の窓から岩山までの距離は、およそ300mくらいだろうか。標高は、たぶん、、300mくらい。
四季の表情がある、いい岩山だと思う。
夏には、二重の虹がこの山を起点にいくつも見えた。
冬晴れの夜には、煌々とした月が岩山の天辺からUFOのように上がってくるだろう。煙草を吸いに玄関からはみ出た夫が、それを見つけてくれることだろう。
この岩山を、わたしはこの上もなく愛し始めている。
さみしいと、あいしてるは、
わたしの同義語になった。
「そして、」
は、要らない。