東の窓辺のゴーヤがまだ小さい実をつけてがんばってくれている。先週、最後であろう大きな実を4つ収穫して、今日はみりんとしょうゆで炒り煮にして白ごまを振っていただいた。ゴーヤを咀嚼するとき、脳みそにシャキシャキとした音が伝わって心地良かった。買ったものと違って、火を通しても歯ごたえが残ってる。
精神的に弱ってる時は、腹八分目が分からなくなる。気づいたらお腹いっぱい食べているとか、お腹空かないとか。体調が悪い時は食べられない。
100歳まで元気に長生きしたいなら、肉や寿司、卵に牛乳、チーズ、ヨーグルトなどなど栄養価が高いと云われているものを食べた方が良い。
そこまで生きるつもりがないのなら、野菜ときのこ、米、味噌、醤油、塩。年相応、徐々に食が細くなる。
砂時計の音が聞こえるようになってしまったら、自分の心臓の音や呼吸音、血が流れる音、内臓の悲鳴が聞こえて、夜は眠れないだろうょ。。
さっき、夫が、「このおせんべい食べていいよ、会社でもらってきたから、」と言うので、
「誰かの旅行のお土産?」と、聞くと、
「誰かが会社辞めたんだけど、その誰かがわからない」と。。
そんなに大きな会社でも部署がたくさんあるわけでもないのに、誰が辞めたか分からない、そんなことってあるのか。
他人に興味無さすぎなのか。
辞めたのが誰だかも分からないのに、おせんべいだけは貰ってきたのか。。
………星図は消えても星空は消えないね、当たり前。
この間、オリオン座の中にある星まで見える、と夫が言ってた。
働く仲間の事もよく見よう。。
大根の煮物を作ろうと思って、お昼前に大根の下茹でをして、出汁を取っておいた昆布を刻んで一緒に煮込んだ。そのまま使える高野豆腐と人参と椎茸も一緒に入れて、味付けは塩のみにした。大根の皮は細かく刻んで、チャーハンの具にしてお昼に食べた。
東の勝手口を網戸にして、朝は朝日で背中をあたためながら味噌汁をいただく。たまにお昼も台所に椅子を持ってきて、山と野原を眺めながらいただく。今日は天気が良くて、赤とんぼ。
セイタカアワダチソウは、アレルギーの原因になると思っていたら、花粉を飛ばさないからアレルギーの原因にはならない、と昨日知った。
なので、セイタカアワダチソウを部屋に飾っても問題ないということで、、確かに、大きな花器に生けたらゴージャスな雰囲気を出せそうだけど。。
昔は田んぼであっただろうと、思われる土地にいっぱい揺れている。
愛―恋=日常
セイタカアワダチソウがはびこらないようにしましょう。
今日、梨を買ったゎ。。
今夜は、茗荷と椎茸とゴーヤを天ぷらにした。梨も天ぷらに出来るらしいけれど、生で食べたい。
天ぷらは、市販の天ぷら粉をやめて米粉を使ってみたら、衣がサラッとしたままで冷めても美味しかった。衣は米粉と水のみで卵は使わない。
植物油をやめて、圧搾の米油にしてから、排水口が前よりヌルヌルしなくなった気がする。毎日の排水口掃除が楽になった。
今度は土鍋を使って、ご飯を炊いてみたいな。
今日は人の温かさに触れて、包まれた一日だった。
これから何をどう考えればいいのか、これから、というより、この瞬間の永遠の続きを、自分がどうしたいのかが分かった。
ささやかな夕食時、楽しかった事や嬉しかった事を話せるという事が、何よりもありがたい。
昨日の里芋の煮物とご飯と、豆苗椎茸シメジ人参入り豆乳スープと、いただいた茗荷と、ワカメと玉ねぎと人参で酢の物を作った。酢の物に砂糖は使わず、みりんを煮詰めて使った。
いつかはどちらかが1人になる事を頭の片隅に置いて、パチンと手を合わせて、「いただきます」と「ごちそうさま」を言った。