今日、パートからの帰り道。直線から坂を下るところで70キロくらいになり、前の車も後ろの車も距離が変わらないからだいたいみんな同じスピードだったと思う。
下り坂の先が緩いカーブで、そこはとても心地よいポイント。フワーとカーブを過ぎて、またすぐフワーとしたカーブに続く。。
のはすが、なんか白バイ隊員みたいなフォルムが見えて、キンチョー。スピードは65ぐらいだったかな。。
その先がちょっとしたスペースになっていて、テントが張られて長椅子が並び、パイプ椅子が整列してた。白バイ隊さんが、並んでた。。
あっ、これがネズミ捕りかー。
って、この話しを先程夫にすると、
「会場の手前でスピード測ってるお巡りさんがいたはずたよ」と。
……気づかんかった……
あそこの坂もその先のカーブもみんな70は出す!いや、出してた。
「80キロで捕まえるつもりだったんじゃない?」と、夫が言うけど、
わたし、帰ってくる時に瞬間73は出してたと思う。あそこら辺は、減速したいと思わないし。
これって秋恋?
それはどうかな。。
ブレーキは、適宜踏みましょう。
愛するって、
愛する人の鼻くそまでも愛おしい。
結婚式の指輪交換はもうやめて、鼻くそ交換にしたらどうだろうか。。
お互いにその場でほじっくた鼻くそを、相手の口に入れてあげる。もしくは、相手の鼻に指を突っ込んで、鼻くそを取り出しモグモグ。
そして、誓いのキス。
【愛する、それ故に、
鼻くそだって食べられる】永遠の愛の証
鳴り止まない祝福の拍手―――
今日もわたくしの思考は、平和だゎ。。
耳が聴こえづらくなった時、自分の声が耳の中に反響して目眩がした。鼓膜がペコペコしてる感じがして、鼻がツンと痛くて気が変になった。
「ストレスです」と言われたけれど、なんのどんなストレスなのか説明もつかない、そんな時期があった。
…
耳が聴こえづらくなっても、常にグルグル思考してたら、外が静寂だとしてもうるさくてたまらないと思う。
『もう思考を止めたい……』、そう思った事もある。
『あれ、今何考えてたっけ』、くらいの微弱でちょうどいいんだと思う。
静寂の中心で立っていられるのは、無駄な思考も無意味なお喋りもしない、そういう人。
わたしは、静寂の中心では立てない。
座禅にいったら、パシパシされると思う。
うちの近くに有名な禅寺があって、座禅会がある。行ってみようか………迷ってたとこ。静寂は子供の頃から苦手。自分が発狂しそうで、怖い。
今日は、着古しのコットンシャツを小さめのひざ掛けに作り直して過ごした。母が施設でごはんを食べる時に使ったり、薄いので肩に掛けたり首に巻いたりできる。
だけど、自分が愛用して着ていたシャツにハサミを入れる時、いろんな気持ちが込み上げて来た。
ミシンは壊れてるから、手縫いでチクチク縫い進めて、その間ずっとラジオを聴いてた。時々山を見たりして。
燃える葉といったら、わたしは山火事しか思い浮かばないけれど、母は紅葉を思い浮かべる事ができるだろうか。。
熊が罠にかかったと町会の回覧板アプリに入っていて、駆除した、と。いろいろあるから銃は使わなかったそうで。
電気の槍で、死ぬまで何回も突くんだそうです。
そういう事を知らなくてもいいけど、やっぱり知っておいた方がいいと思う。断末魔の雄叫びは凄まじきものだそうで、「あれは…祟り神になるぞ…」と、一部始終を見ていた同僚は言ってた。どういう気持ちで同僚が一部始終を見ていたかは関係ない。
その同僚が、一部始終を見ていてくれたおかけで、わたしはその事を知ることができた。
イノシシも毎年30頭くらい罠にかかって、みんな殺処分される。罠にかかるたびに、回覧板アプリで、【イノシシ捕獲成功しました、今年〇〇頭目殺処分されました。】と入ってくる。
今も、【今年9頭目のイノシシ罠にかかり、殺処分されました。】と、また入って来た。
殺処分されたイノシシは一部、料亭へ売られたり、ジビエとか言って、喜んで食べる人間の嗜好品になる。それも悪いとは言わないけれど、現代では、栄養は充分摂れているんだからもうわざわざ楽しみのためだけに食べなくてもいいんじゃないのかな……と思う。
わざわざ山奥まで来て、熊とかイノシシとか鹿とか、わざわざ食べに来なくていいょ。
残念よね、何も知る必要がないって。
電気槍で突き刺したいほどイノシシや熊や鹿が憎くなるような出来事が、今後身の上に起こらないとも限らないんだけど。
今宵中秋の名月、
不穏な事は言ってはいけないとされているね。
そんなの関係ないゎ。