わたしが離乳食を食べさせてもらっていた頃の、クマの子ウーフのお匙は、今でも現役で使っている。息子のお弁当にも持たせたし、夫も使っている。
このお匙は、永遠に残りそうな気がする。
いつか土に埋もれるようなことになって、発掘されて、大昔の庶民の生活を彷彿とさせる一品になるのではないだろか。。
あと、母と保育園の帰りに銭湯に通っていて、その当時使っていたプラスチック洗面器がまだある。
昭和ならではの森の動物達の絵柄で、お湯を入れると、底の動物たちがゆらゆら揺れて、母が身体を洗ってくれている間に物語を考えたりしたものだ。
この洗面器も永遠に残りそうな気がする。
それは、【土に還る事が出来ない事】で、大変かなしいことだと思う。
涙は血液から、というのは知ってたけれど、涙の98%が水分だというのは、知らなかった。
涙は心の洗濯です。泣く前と泣いた後は、しっかり水分補給しましょう。
涙の理由は何でもいいです。
楽しいから、悔しいから、寂しいから、痛いから、嬉しいから、、どれでもいいです。
だけど、涙の言い訳はしないでください。
コーヒーが冷めないうちに、、
コーヒーは夫が飲みたい時に自分で淹れるから、意識したことがないです。
夫が休みの日は、お風呂の掃除をしてくれるので、掃除が終わって足を拭いてリビングに戻るタイミングで、お茶を出します。
「ありがと」
頼んだ事でも、率先してやってくれた事でも、ありがとうは必ず言います、お互いに。
それは、感謝というより確認みたいなものです。【やってくれたの、分かってるよ、】とか、そんな感じの。
そして、朝一番に出すお茶には梅干しをひとつ入れます。それは、お義母さんの習慣であるらしく、【朝茶には梅干しを】、というのが夫のリクエストです。
意識したことはないけど、夫婦の絶妙なタイミングはもう板についているんだと、今朝思いました。
盲人用の腕時計を見たことはありますかね?
母は時計のフタをパカっと開けて指でちょっと触って時間を確認してた。時計に触れるのは、ほんの一瞬の事です。針が動いちゃうから。
今も盲人用腕時計は、触るタイプのものかな。母はゼンマイを巻くタイプのものを使ってた。電池が切れると、交換するのにかなりの日数がかかったから。それは困る。時間が分からなくなったら、動くことができないから。
わたしの見ている世界とは、まったく違う感覚で目の見えない母は生きていく。
夜中は特に腕時計のフタを閉める時、パチって音が部屋に響いて、『……時間を見てたんだな』、と子供の頃は思った。
母はあまり眠れなかったのかもしれない。切に願ってた事を胸のずっと奥深くに秘めて、一度も、吐息にさえも出さないで。
夫の実家へ行くと必ず、夫の小さい頃の話しをお義母さんから聞かされる。
夫が中学2年の時に足を骨折した時、お義母さんは、痛くて泣く息子をおんぶして病院へ連れて行った、と言う。
だけど夫は、痛かったけど泣いてないし、歩けなかったから兄ちゃんに自転車で病院へ連れて行ってもらった、と言う。
親子で記憶が違う。兄ちゃんはと言うと…、記憶が曖昧でとにかく怪我をした弟達を何回か自転車に乗せて病院へ行った記憶がある、と言う。
夫は、自分が骨折したのは一度だけで、怪我をして病院へ行ったのはその時だけだ、と言う。
夫の家族話しは、時計がそれぞれ違うのか、重なった事がない。
それぞれがそれぞれの言いぶんを、ガチャガチャ言って毎回終わる。それが不思議。
ひとつのクリスマスケーキを、家族6人分切り分けるのが大変だった、とお義母さんがいつも言う。ひとつのチョコの家とひとつのサンタと、食べられないもみの木と
………「メリークリスマスどころじゃなかったわよ」
プレゼントはどうしてたかと言うと、お菓子のブーツは1人ずつだったけど、おもちゃは兄弟弟妹で、ロボットひとつのみ。
夏の帰省は、エアコンの無い車に家族6人乗って、音楽はお義父さんお気に入りのカセットテープひとつで、6時間以上かけて田舎へ行った、と言う。この話しは全員頷いている。
わたしとしては、まったく信じられない話しばかりで、そんな経験したことないから何回聴いても飽きる事がない。
家族それぞれの思い出話しが分厚くて、羨ましい。