いっそ、君が死んでくれたら良かった。
なんて思ってしまう僕は、酷いやつだなと、我ながら思う。
長年付き合ってきた彼女と別れた。彼女に好きな人が出来たから。僕の知らないところで、彼女はとっくに結婚していた。それを知って僕が愕然としていると、彼女が言った。
「これからは、仲の良い友だちとしてよろしくね」と。
僕たち、今まで何をしていたのだろう。相手の何を見ていたのだろう。恋人がいないと馬鹿にされる世の中に急かされて、お互いに手頃だったから付き合っていただけなのか。
僕は彼女を愛していた。結婚になかなか踏み切れなかったのは、持病のせいだ。彼女に負担をかけるのが怖かった。それでも、何とかやっていける道を探していたけれど、それは恐らく遅すぎた。
彼女は僕を愛していた、のかは分からない。しかし少なくとも、付き合っている間は僕はそう感じていた。前の男で酷い目にあって、男性恐怖症だと言っていたから、中性的な僕とは付き合いやすかったのかもしれない。そんな傷付いた彼女を大事にしたくて、彼女の望みには応えるようにしたし、彼女が嫌がることはしなかった。大切に、大切に、付き合ってきたはずだけれど、彼女には何か足りなかったらしい。
僕には何の言葉もなく、他の男と付き合っていた。彼女が男性恐怖症を克服できたことを喜びたいのに、僕はもう、善人でいられる気がしなかった。
悪びれることもなく、これからは友だちとして付き合えだなんて。僕が今、どんな気持ちでいるのか想像もしてくれないらしい。それくらい、彼女は僕のことを優しい人間だと勘違いしている。
雨が降る。恐ろしく風のない夜。
僕は彼女らの新居の前にいた。手にはバールと縄を持っている。僕は監視カメラも気にせずに、堂々と歩いた。僕がこれから何をしても、刑務所に入れられる心配はないからだ。彼女のように無防備な窓ガラスを、僕はバールで割って家へ侵入。そのまま寝室を目指し、ふたりを絞殺……することはなかった。僕はただ、新品の建物を眺めながら、雨に佇む。
雨と涙でぐちゃぐちゃになった顔を覆って、
「 」と溢した。
持ってきた縄は、彼女らのためのものではない。
これは僕のための縄なのだ。バールはただの護身用だ。
さて、彼女は翌朝、どんな顔をするのだろう。
僕は何も期待しないで、手頃な樹木に己の命を預けた。
僕たちは、向い合せでいると思っていた。
お互いにお互いを、まっすぐ見つめ合ってきたから、長く付き合えたのだと。
でも、それは違ったらしい。
僕たちは向かい合っていたけれど、お互いを見てはいなかった。お互いの瞳の中に映る、己を見ていたのかもしれない。
僕は君を知っていると思ったが、存外君のことを知らなかった。君もまた同じく。
ふたり手を繋いでいた頃は、お互いの考えることが分かったのに。実際は分かっている気でいただけだった。
そう、思わざるを得ない。
君から受けた、たった一度の不信を、僕は許せなかった。驚いた。大概のことは諦めて許してきた自分が、明確に君に対して怒ったのである。いや、正確にはこれはただの防衛反応であり、それを引き起こしたのは強い悲しみと己への落胆のためなのだけど。
渦巻く黒に飲み込まれそうだ。
過ごしてきた日々に嘘偽はないのに、まるでそれは、波打ち際で運良く波を避け続けた砂城だった。
僕たちは今、分岐点に立っている。
本当の本心を語るべき時が来た。
これまでの自分を、真実としたいなら。
ああ、どうか、どうか、
僕たちがお互いに、
誠実でありたいと願っていますように。
どうやら私は長くないらしい。
100歳まで生きたいなんて思っていなかったが、30代で死ぬ想定もしていなかったから、何だか困惑する。
日に日に少しずつ身体の自由がなくなっていくことに、私はあと数年耐えられるだろうか。ああ、きっと無理だ。私はひどい怖がりだから。
自然災害に、疫病、戦争。世界を不幸が飲み込もうとしている。そんな世の中を、この脆弱な肉体では生きていける気がしない。いつも父が言っていた。これからは「弱い人間は生きていけない」世界になるのだと。つまり私は、死ぬべき人間であるのだと。少しでも生きたい人間に有限資源を譲ることくらいしか、死にゆく私が他人に出来る親切は、もうないだろう。
いざ眼の前に死が迫れば、私は多くの未練を浮かべると思ったのに、実際は何も浮かばなかった。私は、家族や友人に対して、諦めしか持っていなかったのだ。誰かを強く想うことが出来なかった。強いて言うなら、それが未練だろうか。そういう強い気持ちがあったなら、己の命をもっと丁寧に扱えた気がする。
身の回りの整理をしていると、学生時代の写真と手紙を見つけた。それは、少し変わった水瓶座の友人からのものだった。私とはまるで真逆のひどく活動的で、独断専行の目立つ人間だったが、何故か私は彼女のことがわりと好きだった。クラスで浮いている者同士だったからか、私たちはよくつるむようになって、お互いの足りない部分をフォローし合った。そこには、本来簡単に生まれるであろう恋愛感情も依存もなく、私が思うに、彼女ほど純粋に“友人”だった人間はいない。
しかし、私は不調が現れてから連絡をとらなくなった。誰かと関わろうという気持ちを一切なくしてしまったのだ。それからもう長い年月が経つ。彼女はもう、私のことを覚えていないだろう。高校の3年間だけの付き合いだったのだから、当然だ。
片付けの手を止めてはいけない。私はその後もテキパキと私物を捨て続けた。そうして最後に残ったのは、彼女との写真と手紙だけだった。私を忘れてしまった人間から、過去にもらった言葉を、私はお守りのように扱った。
「私は君がどうあろうと、君の味方だし、親友だよ」
誰でも使う言葉なのかもしれない。上辺だけのものかもしれない。実際そういう人間を多く見てきたから、私は人の言葉を簡単には信じられないのだけれど、彼女の言葉は信じても良いと思えた。忘れられた言葉だとしても。信じるとは、裏切られても良いと思えることなのだから。
準備が整った。あとは、己の臆病を宥めるだけだ。深呼吸をした後、震える足で椅子に上る。垂れ下がる輪っかになった縄に両手をかける。いざそこに首を通そうとした瞬間、聞き慣れないけたたましい音が私の鼓膜を揺らした。
無音の世界に唐突に鳴り響いた爆音に、私の心臓が飛び上がる。振り向けば、遺書と共に並べておいたスマホが震えていた。私はそれが着信であると気付くのに少し時間がかかった。何せ私はスマホを買ってから、誰とも通話していない。自分のスマホの着信音も音量も知らずにいた。
画面を見ると、見知らぬ番号だった。死ぬ間際に迷惑電話なんて、つくづく格好がつかない。無視することは容易だったはずなのに、何を思ったのか、私は椅子を降りてスマホをとっていた。人生最期で初めての、通話ボタンをスワイプした。
「もしもし…」
電話口から聞こえてきたのは、弱者を食い物にする邪な詐欺師の声でもなく、これから私を迎えに来るであろう死神のそれでもなかった。何年経とうと忘れもしない彼女の声が、電子機器を通して私に届く。
私は、スマホを何度も買い換えたが、番号を変えることはなかった。それは面倒だったからとも言えるが、本当に他人との関わりが絶ちたい人間のすることでは、多分ない。私は私の奥底にある気持ちを、あえて見ないようにしていたのだと、認めざるを得なかった。
どうして、このタイミングで。死にたいという真っ黒な感情に満たされていた胸の内に、微かに残っていた生きたいという光が、弱々しくも鼓動しているのを感じてしまった。それが彼女の声を聞いて、大きくなってしまったことも。
此岸にさよならを言う前に、一目君に会いたいだなんて、ああ、私はそう強く思ってしまった。
晩鐘が聞こえる。
数多の鐘の音が重なりあって、
私の鼓膜を劈いた。
ああ、だから、私は東京が嫌いなのだ。
突然だが、私には特殊能力がある。これは生まれ持ったものではなく、友の死をきっかけに発現したものだ。
その能力というのは、『魂の晩鐘』
簡単に言えば、死ぬ人間が分かる…いや、正確には死のうとしている人間が分かると言った方がいいか。私には自殺する人間が死ぬ間際に発する、最期の慟哭が聞こえるのである。これは、他人の耳にはまったく届かない。私にだけ響く鐘の音だ。
初めてそれを聞いた時、私はまず脳外科に行った。待ち時間の長さのわりに短時間で終わる診察が終わると「異常はない」と告げられた。次に精神科にも行ったが、これもまた同様だった。その後もありとあらゆる病院巡りを繰り返すこと十数件。私はようやく悟った。これは医者が関われる案件ではないのだと。もっとオカルトチックな、スピリチュアルな現象なのだと。
それからは、自分で法則性を探り始めた。何の前触れもなく鳴る鐘の音だと思ったが、ある時それは人のいるところでしか鳴らないことに気が付いた。さらに調べていくと、これは人から出ている音で、それを鳴らす人たちは、等しく死相が出ていると知り合いの占い師が言っていた。ある朝テレビを見ていた時、アイドルからそれが聞こえた。翌日彼女は事務所で自殺した。すべてが確信に変わった瞬間だった。
そもそもどうして、平々凡々な私にこんな力が宿ったのか。ライトノベルの主人公でもあるまいし。もし私がそれだったなら、もっとチート能力を宿してほしかったものだ。
この力は、私に何をどうしろというのか。
自殺者数が群を抜いて世界一となった我が国には、新たな法律が出来た。自殺による保険は一切おりず、自殺者が出た家族には罰金を課すというものだ。自殺者対策として国が行っているのは、さらに彼らの首を締めるものでしかなく、苦しみ抜いた自殺志願者は、こぞってレジャーに出掛けた。海や山での事故を装うために。夏休み、眩しい太陽の下、楽しげに遊ぶ親子の足元には、数多の屍と怨嗟が積み上がっている。
神は私に救世主にでもなれというのか。死ぬ人間が分かったって、カウンセラーでも為政者でもなく、ましてや社会人としての地位すら危うい私が、彼らに一体何をしてやれるというのか。
私は引っ越した。山の中のど田舎に。周りにはお年寄りしかいない過疎地域だ。人の集まる娯楽施設など一切ない。とはいえ、ライフラインは辛うじて保たれている。私は此処にに来てから、鐘の音を聞かなくなった。
田舎というと、都会より面倒な人付き合いや古きおぞましき悪習を想像して身構えていたのだが、此処の集落の人たちは、私に何も強制しなかった。集まりには気が向いたら来てねと言われ、「若者なのだから」という言葉をナイフに私を脅すこともない。この歳で結婚していないわけも、根掘り葉掘り聞いてこなかった。……あまりに、年寄りらしからぬ。
私は、人を優しく騙して食べる鬼の集落にでも来てしまったのかと青ざめた。令和の時代にも鬼は存在するのかと、いたく住み良い環境に驚きを隠せずにいた時のことだった。唐突に友が私の家を訪ねてきたのは。
彼女は、高校からの付き合いのある友だった。私はその日、久しく聞いていなかった鐘の音を聞いた。自分が鬼の集落に暮らしているなんて馬鹿げた妄想は、鳴り響く鐘の音がまるごと飲み込み、私は焦りを悟られまいと必死に笑顔の仮面を貼り付けるのだった。
友情とは何でしょうか。
どんな気持ちを呼ぶのでしょうか。
私が彼女に抱いたものは、それではなかったのでしょうか。
毎日のように話をして、馬鹿なことで笑って、一緒に創作をして、死にたくなっても励まし合って、隣にいるのが当たり前のように過ごしてきた彼女は、今私の隣にはいません。
私の知らない男と結婚して、私の知らない場所に行ってしまいました。便りのひとつも寄越してくれたら良いのに、何の音沙汰もなく。
知っています。結婚したら色々なものが変わって大変であること。私に構っている時間もないこと。
彼女は彼女なりに、彼女の人生を全うしているだけで、何も悪いことなどしていないのに、私ときたら……
私と彼女の間にあったのは、友情ではなかったのでしょう。きっとただの依存だったのです。私たちは、お互い依存対象を探していた似た者同士だったのです。
彼女は新たな依存対象を見つけ、私はそれを失い、だから苦しんでいるだけで、これを恋だなんて呼んで美化すれば、世間様に嗤われてしまうでしょう。
人生に別れはつきもので、それが人を強くするとはよく言いますし、事実だとも思いますが、それによって絶たれる脆い命があることも、また事実です。
弱さと嗤いますか、繊細さを嘆きますか。
眼の前の事実について、何を思うかは人それぞれです。
自分が出した答えは、自分にとっては正解でしょう。しかし、それが他人にとっても必ずそうなるとは思わないことです。
人間とは本当に、難しい生き物ですね。
私も、自分にとっての正解を、他人にとっての間違いと知りながら、貫くことにします。
人に好かれるように、合わせて生きることが出来ない、不器用な人間なのです、私。
だからひとこと、『ごめんなさい』と。
ただ、素直にひとこと『寂しい』と、君に伝えられていたなら、こんな馬鹿なこと、しなくてすんだかもしれませんね。