どうやら私は長くないらしい。
100歳まで生きたいなんて思っていなかったが、30代で死ぬ想定もしていなかったから、何だか困惑する。
日に日に少しずつ身体の自由がなくなっていくことに、私はあと数年耐えられるだろうか。ああ、きっと無理だ。私はひどい怖がりだから。
自然災害に、疫病、戦争。世界を不幸が飲み込もうとしている。そんな世の中を、この脆弱な肉体では生きていける気がしない。いつも父が言っていた。これからは「弱い人間は生きていけない」世界になるのだと。つまり私は、死ぬべき人間であるのだと。少しでも生きたい人間に有限資源を譲ることくらいしか、死にゆく私が他人に出来る親切は、もうないだろう。
いざ眼の前に死が迫れば、私は多くの未練を浮かべると思ったのに、実際は何も浮かばなかった。私は、家族や友人に対して、諦めしか持っていなかったのだ。誰かを強く想うことが出来なかった。強いて言うなら、それが未練だろうか。そういう強い気持ちがあったなら、己の命をもっと丁寧に扱えた気がする。
身の回りの整理をしていると、学生時代の写真と手紙を見つけた。それは、少し変わった水瓶座の友人からのものだった。私とはまるで真逆のひどく活動的で、独断専行の目立つ人間だったが、何故か私は彼女のことがわりと好きだった。クラスで浮いている者同士だったからか、私たちはよくつるむようになって、お互いの足りない部分をフォローし合った。そこには、本来簡単に生まれるであろう恋愛感情も依存もなく、私が思うに、彼女ほど純粋に“友人”だった人間はいない。
しかし、私は不調が現れてから連絡をとらなくなった。誰かと関わろうという気持ちを一切なくしてしまったのだ。それからもう長い年月が経つ。彼女はもう、私のことを覚えていないだろう。高校の3年間だけの付き合いだったのだから、当然だ。
片付けの手を止めてはいけない。私はその後もテキパキと私物を捨て続けた。そうして最後に残ったのは、彼女との写真と手紙だけだった。私を忘れてしまった人間から、過去にもらった言葉を、私はお守りのように扱った。
「私は君がどうあろうと、君の味方だし、親友だよ」
誰でも使う言葉なのかもしれない。上辺だけのものかもしれない。実際そういう人間を多く見てきたから、私は人の言葉を簡単には信じられないのだけれど、彼女の言葉は信じても良いと思えた。忘れられた言葉だとしても。信じるとは、裏切られても良いと思えることなのだから。
準備が整った。あとは、己の臆病を宥めるだけだ。深呼吸をした後、震える足で椅子に上る。垂れ下がる輪っかになった縄に両手をかける。いざそこに首を通そうとした瞬間、聞き慣れないけたたましい音が私の鼓膜を揺らした。
無音の世界に唐突に鳴り響いた爆音に、私の心臓が飛び上がる。振り向けば、遺書と共に並べておいたスマホが震えていた。私はそれが着信であると気付くのに少し時間がかかった。何せ私はスマホを買ってから、誰とも通話していない。自分のスマホの着信音も音量も知らずにいた。
画面を見ると、見知らぬ番号だった。死ぬ間際に迷惑電話なんて、つくづく格好がつかない。無視することは容易だったはずなのに、何を思ったのか、私は椅子を降りてスマホをとっていた。人生最期で初めての、通話ボタンをスワイプした。
「もしもし…」
電話口から聞こえてきたのは、弱者を食い物にする邪な詐欺師の声でもなく、これから私を迎えに来るであろう死神のそれでもなかった。何年経とうと忘れもしない彼女の声が、電子機器を通して私に届く。
私は、スマホを何度も買い換えたが、番号を変えることはなかった。それは面倒だったからとも言えるが、本当に他人との関わりが絶ちたい人間のすることでは、多分ない。私は私の奥底にある気持ちを、あえて見ないようにしていたのだと、認めざるを得なかった。
どうして、このタイミングで。死にたいという真っ黒な感情に満たされていた胸の内に、微かに残っていた生きたいという光が、弱々しくも鼓動しているのを感じてしまった。それが彼女の声を聞いて、大きくなってしまったことも。
此岸にさよならを言う前に、一目君に会いたいだなんて、ああ、私はそう強く思ってしまった。
8/20/2023, 10:19:46 PM