あの頃の不安だった私へ
残念ながら今の私にはおまえが何をそれほど不安がっていたのか、もう思い出すことすら難しい。
不安が消えた気配はない。
おそらく私は頭の動きが極端に鈍くなっただけで、昔から何一つ変わってはいない。
この歳にして不安なことが一貫しているらしいことに、己の頑迷さに呆れ、諦めの悪さを笑い、頼りなさに寄る辺もなく震える。
それを薄らぼんやりと墨のような黒い海に仰向けにたゆたいながら、ひたすらに暗闇をあてなく流されゆく今の私は、もうはじめからそのような生き物であったとした方が良いかも知れぬ。
あの頃のおまえは、未来のこのような自分を予感していたのか。
哀れなものだ。
まあ、どうでもいいことか。
再び瞼を閉じる。
混濁の海へとまた意識が散ってゆく。
逃れられない呪縛
目を覚ますとね、いつも自分なんよ。
これが一番謎な呪縛ですね。もう頑張った、良くやった。出来なかったこともあるけれどもういいよ。やれるだけやったと思うから自分はもう終わりで構いません。おやすみなさい。次も何も要らないので宜しく頼みますね。
と思うのに目覚めるとまだ自分を演っている。変だなー、まだ何か足りなかったのかなー。
どうしたら良いのかわからないままに再び自分をはじめる。
眠りについている間に手放した自我は何処かの蝶になって飛び回ることはない。
と
思い込んでいることが、案外逃れられない呪縛かも知れませんね。
逃げられないと思うから縛られる。出口は多分すぐそこですよ。
昨日へのさよなら、明日との出会い
さよならはあるのでしょうか。
昨日があるから今日があり、明日を迎えることが出来ます。
自己の連続性には過去が必要で、過去の様々の出来事に思いを馳せるから明日を思えるのではないでしょうか。
忘れたいこと、無かったことにしたいことは沢山ありますが、辛い後悔も抱えて行くから未来の達成感があり、成功体験があるから未来の自己をより肯定出来ます。
昨日にさよならしたいですか?
と聞かれたら答えは「いいえ」です。
忘れてしまうのは仕方がありません。どんなに覚えていたくとも大切なことや大切な人を思い出せなくなるのは悔しいですし、悲しいけれど自分の力ではどうしようもないのが人の性です。
ただ、全てを抱え込むのが苦しくなったなら。その時には辛い思いをタイムカプセルに仕舞い込み、深く深くへ沈めるのです。
いつかの明日にそれを託し、また抱きしめられるようになる日までお片付けします。
仮初のさよなら。
いつだって懸命に生きているから辛くても大切な宝物です。だらけていてもね。
朝日が嬉しいのは昨日の日没を知っているから。夜を越えて来たことを知っているから。
そんなことをぼんやり考えた今日でした。
透明な水
ある時、水が喋った。
いつもの普通な、ただの透明な水道水だ。
ぴちょん
と蛇口から落ちた音はこう言った。
「私、今は水なの」
いやいや待て、ただの音だった。
けれど私にはそう伝わったのだ。
今は水?
どういうことだろう。
水ではない時もいつかはあるということ?
私は混乱し、自分の正気を疑った。
また、水が落ちた。
ぴちょん
あ、これは普通にただの水音だ。意味は理解できない。
そんなことが一度だけあった。
念の為仔細を医師に相談してみた。
私はおかしくなったのか。
しかしどの医師に話しても病の疑いは無いと言われた。
仕舞いには「病気になりたいんですか?」
とまで言われてしまった。
ふむ。
ならば事実を受け入れるまでだ。
今の私には水の気持ちはわからないから、なぜそれを教えてくれたかは理解できない。
そうだな、私が水になる番が来たら誰かに伝えてみよう。
「私、今は水なの」
理想のあなた
理想なんてないよ
私は私で、それでいいです
これ以上もこれ以下もありません。もう十分なんです