憂一

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4/2/2024, 2:16:58 AM

『エイプリルフール』

エイプリルフールは、毎年4月1日に行われる嘘の祭りだ。嘘をついていいのは午前中だけとか、その日についた嘘は絶対に現実に起こらないとか、いろいろな言説がついてまわるけど、とりあえず様々な嘘を見て回れるという点では、なかなか面白い日である。
さて、嘘をつくとき、私たちは真実とは異なることを「嘘」として話すわけだが、そもそもどれくらい正しく真実を認識できているだろうか?
私は正直なところ、自分の認識が真実と呼べるほど正しいものであると、自信を持って言うことは出来ない。視力が落ちてからは眼鏡をかけないとぼんやりとした絵しか見えず、耳も悪くて言葉が聞き取れないことも多い。都合よく脳が補完してしまうこともある。そうやって、身体の不具合を脳が修正してしまうものだから、自分が認識している世界というのは、おそらく、正しくないだろう。
にもかかわらず、自分は嘘をつくことが出来る。真実を正しく認識できていないにもかかわらず、である。このことを思うと、世界というのは真実と嘘だけで構成されているのではなく、そういう尺度で識別できないもので満たされているのではないかという気がしてくる。
真実か嘘か、というのとは別の、自分の目に映る世界を丁寧に眺める日を「エイプリルフール」としてみたっていいのではないだろうか。

3/28/2024, 11:37:24 AM

『見つめられると』

「見つめる」という言葉は、単に「見る」という言葉よりも何か切実さがあるように思う。
相手との距離を詰めようと「見詰める」、相手を見る時を積み上げるように「見積める」、相手の意識を摘み取ってやろうと「見摘める」。
言葉遊びに過ぎないかもしれないけれど、人が「見つめる」時、そこには相手と自分だけの世界を作り上げてしまうほどの強いつながりを持とうとしているような気がする。
そう考えると、見つめられることは単なるロマンティックな体験ではなく、少しグロテスクな怖さを感じる場面でもあるように思う。

3/28/2024, 4:48:29 AM

『My Heart』

類音が類意を想起させることが多い。
心を意味するheartという単語と、痛むという意味を持つhurtの発音が似ていることは、心と痛みという概念同士の距離が近いからではないかと思う。
自分にとって心というものは痛む時にその存在に気づくものであって、満たされている時は、心が胸のあたりにあることなんて気づかない。

3/23/2024, 4:23:21 PM

『特別な存在』

特別な存在はいつも、失った存在と等しい。
失ったゆえに、その不在に対して思いを馳せることが多くなり、段々と自分の中で特別になっていく。
サン・テグジュペリが『星の王子さま』で書いたように、ある存在を大切に思うのは、その存在のためにどれだけの時間を費やしたか、なのだろう。