憂一

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『エイプリルフール』

エイプリルフールは、毎年4月1日に行われる嘘の祭りだ。嘘をついていいのは午前中だけとか、その日についた嘘は絶対に現実に起こらないとか、いろいろな言説がついてまわるけど、とりあえず様々な嘘を見て回れるという点では、なかなか面白い日である。
さて、嘘をつくとき、私たちは真実とは異なることを「嘘」として話すわけだが、そもそもどれくらい正しく真実を認識できているだろうか?
私は正直なところ、自分の認識が真実と呼べるほど正しいものであると、自信を持って言うことは出来ない。視力が落ちてからは眼鏡をかけないとぼんやりとした絵しか見えず、耳も悪くて言葉が聞き取れないことも多い。都合よく脳が補完してしまうこともある。そうやって、身体の不具合を脳が修正してしまうものだから、自分が認識している世界というのは、おそらく、正しくないだろう。
にもかかわらず、自分は嘘をつくことが出来る。真実を正しく認識できていないにもかかわらず、である。このことを思うと、世界というのは真実と嘘だけで構成されているのではなく、そういう尺度で識別できないもので満たされているのではないかという気がしてくる。
真実か嘘か、というのとは別の、自分の目に映る世界を丁寧に眺める日を「エイプリルフール」としてみたっていいのではないだろうか。

4/2/2024, 2:16:58 AM