お気に入りのものというのは沢山ある。人であろうと、ものであろうと瞬間であろうと、それらを大切にしたいと思って生きているが、ここにはお気に入りの時間を書きたいと思う。
お気に入りのお茶(その日によって紅茶か緑茶か、ほうじ茶かかわる)をお気に入りの三菱モータースのタンブラーに入れる。このタンブラーは母親にもらったものだ。Spotifyでお気に入りのMixをかける。バイト代で買った、安い割に音がすごくいいお気に入りのスピーカーだ。最近は柚子花というシンガー(バーチャルシンガーという方が正しい)をよく聞いている。そして座布団に座って毛布を膝にかけ、iPad(PCのこともあるけど)を開いて文をしたためる。音楽をBGMとして自分の世界に入る、気がつくと数時間立ってたりもする。そんな時間がここ最近のお気に入りである。
その書いた文をどうもするわけでもない、コンテストに出すわけでもない。自己満足のためだけに書いている。それだけでいい。お気に入りの時間なんだから。
誰よりもじゃなくていい、私が満足できる私に取っての1番でいいし、人によって誰よりもの価値観も変わる。
自分が思う誰よりも自分が誇れるものだけを手にして。
2024/02/17「誰よりも」蒼井真白
後書き:体調悪すぎて思いつきませんでした
10年後の自分から手紙が届いたらしい。つまり届いたということは10年後の私は存命で手紙を書けるほどゆとりのある生活をしているのだろう。
しかしだ、内容がこれほどにも気にならない手紙といのも珍しいのではないだろうか。未来がどうであるか、私が何をしているかというのはこれから自分が作り出すものだから、書けないだろう(きっとそういう規約があるのだろう)。かといって直近で起こることを書いてるわけでもないと思う。それを書くこともきっと規約に反するだろうから。だとすれば、書いてることはこれからいろんな辛いことがあるけど頑張れよ、もしくは昔に戻って頑張りたい、そんなことしか書かれてないだろう。そういうものを読んで未来の自分が過去の自分に何を当てたか知りたくないという気落ちも先行する。この先辛いことが起きる、努力不足で苦労することがわかってしまったら何もやる気にならなそうだろうし。でも未来の自分はこの手紙の存在を記憶の片隅に留めているはずでもある。
私は一つの可能性に気がついた。未来の私は白紙で出していると。こいつは何を書いていても見なかった。だから白紙で周りが出してるからだそうという雰囲気で送ってきているに違いない。そう思った。
ペーパーナイフで封を切る。紙さえ入っていなかった。
手紙をしたためる余裕のある自分はからの封筒の話を便箋に書いた。それはいつか来る10年後の私に送ればいい、そう思えた。彼がそれを読んで送ってきたのかはわからないままだ。
「10年後の自分から届いた手紙」 蒼井真白
2024/02/16
寂しくて、泣きそうでも、どこにも頼れる、泣き顔を見せれる人はいない。
鏡の中の私は、何にだってなれる、スーパーヒーロー、お姫様、悪役、お医者さんだって。でも、それはこの場所でも同じだ。私はここに出てくる私を創れる。時には悲劇のヒロインに、はたまた正義のヒーローに。
鏡の中のの自分は時々私に語りかける。「お前は何にもなれないんだな」と。
言い返す言葉もなく、下を向く。あの頃に憧れてたものにはもう遠い。
いや、そうして諦めただけだろうか。近いことに気づけてないままだろうか。
鏡の中の自分に一矢報いたい。明日はなにかチャレンジをしてみよう。
きっとなにか変わるはずだ。
2023/11/03「鏡の中の自分」