10年後の自分から手紙が届いたらしい。つまり届いたということは10年後の私は存命で手紙を書けるほどゆとりのある生活をしているのだろう。
しかしだ、内容がこれほどにも気にならない手紙といのも珍しいのではないだろうか。未来がどうであるか、私が何をしているかというのはこれから自分が作り出すものだから、書けないだろう(きっとそういう規約があるのだろう)。かといって直近で起こることを書いてるわけでもないと思う。それを書くこともきっと規約に反するだろうから。だとすれば、書いてることはこれからいろんな辛いことがあるけど頑張れよ、もしくは昔に戻って頑張りたい、そんなことしか書かれてないだろう。そういうものを読んで未来の自分が過去の自分に何を当てたか知りたくないという気落ちも先行する。この先辛いことが起きる、努力不足で苦労することがわかってしまったら何もやる気にならなそうだろうし。でも未来の自分はこの手紙の存在を記憶の片隅に留めているはずでもある。
私は一つの可能性に気がついた。未来の私は白紙で出していると。こいつは何を書いていても見なかった。だから白紙で周りが出してるからだそうという雰囲気で送ってきているに違いない。そう思った。
ペーパーナイフで封を切る。紙さえ入っていなかった。
手紙をしたためる余裕のある自分はからの封筒の話を便箋に書いた。それはいつか来る10年後の私に送ればいい、そう思えた。彼がそれを読んで送ってきたのかはわからないままだ。
「10年後の自分から届いた手紙」 蒼井真白
2024/02/16
2/15/2024, 9:03:40 PM