彼女は小柄だったけれど手だけはぼくと同じぐらいに大きくぼくよりあたたかかった。
今年の誕生日にぼくはプレゼントとケーキを用意してこっそりワンルームの家にしのびこみ、予定があって外出中の彼女の帰宅をまった。数時間ほどベッドの下にひそみ、午後十一時二十七分に玄関の方から物音がした。それから誰か男の声もいっしょにしていた。それは妄想癖のぼくが水をやり最悪の末路に恐縮するには充分な種で、みるみるぼくの顔は血を何リットルも抜かれたみたいに恐ろしいほど青ざめていった。ぼくは我を忘れてベッドの下を飛び出し帰宅直後の彼女を見た。隣にはぼくより背の高くひょろひょろとしたコート姿の男がいた。前髪がまるで自分と外界をシャット・アウトする役割でもあるかのように彼の目元をかくしていた。ぼくは思わず傍にあった椅子を二人に投げつけ、悲鳴をあげて倒れ込む二人の顔面を何度も蹴りつけ椅子を叩きつけた。二人のおなじ生き物とは思えない顔は個性のあるつぶれ方をしてもはや醜かった。
ぼくは彼女のキッチンからにんじんの皮を剥くときにつかうピーラーを取り出してするすると彼女の手の皮を剥いでいき、そうしてそれを一晩か二晩かけて縫い合わせて手袋をつくった。しかしその血まみれできたない手袋はぼくが手を入れようとしただけで付け根から裂け、ざらざらとしたものがぼくのきいろい肌を傷つけた。脱いだときぼくの手はぼろぼろだった。
そしてなにより、それは手ぶくろとしての機能はまったく期待できないほどひどくつめたかった。
変わらないものなんて、探せば何処にでもある。
過去、芸術、エネルギー、元素あるいは宇宙。
変わらないものがないはずがない。
変わるのはわれわれである。
世界中のつかれたサンタを労うために、わたしはひとり薄暗いオフィスに残る。それが夜の街のうつくしい景色の一部となることをわたしは知っている。
この夜は深い。
ゆえにわたしは此処にいる。
クリスマス・イブに僕は死にました。
たしかに僕はそのときの時刻を正確にかつ克明におぼえていて、黄ばんだ壁にかけられた時計が示していた午後八時四十二分、薄汚い真っ暗な部屋の中央で台を蹴って宙ぶらりんになりました。僕は生存本能から脳に酸素が足りなくなり気絶に陥るまでの時間をそれまでその瞬間を死を待ち望んでいたのにもかかわらずもがき苦しみ心の底から台を蹴り飛ばした選択を後悔しながら砂漠で巨大な壁に対するように絶対的な死におびえて過ごしました。僕という意識が消失して縄で首を括られたままの僕の縊死体のまっしろな首にはまっかな傷痕が幾本も刻み込まれていまして僕がこうしてまだこの場でこれを書き続けていられるのはそのことに深い未練があるからなのです、これをどうにかしないことには僕は死ぬに死ねないのです。つまるところ僕は僕という生の死に対して何処までも潔い態度で対峙したいと考えていたのが、僕をそういった決断にまで追い詰めた臆病さと卑劣さに屈して男らしさというものを最後まで持たずに死んでしまったのが、これを読んでいる人は自ら死を選択しておきながら何故と思うかもしれませんが、死ぬに死にきれないのです。
なのでみなさんをサンタだと思ってお願いします。近所の方が放置された僕の縊死体から発せられる腐敗臭に気がつき公に僕の恥が露見してしまう前に僕を見つけて首元の傷をかくしてください。ファンデーションでも絆創膏でもなんでもいいです。あるいはそれは首を吊る前になんらかの、つまりどこかで引っ掛けたり野生動物に襲われたりしてついたものなのだと人々に錯覚させられるものでもかまいませんが、とにかく僕の恥を闇に沈めてください。
皇居から東に一キロ行ったあるアパートで僕は死んでいます。はやく僕を探しに来てください。
ぼくをみつけてください。さんたさん。
道端で知らない人からプレゼントを渡されたらそれが喉から手が出るほど欲しいものでも恐怖が勝つように、興味のない人からの告白は気持ち悪い。