世界に一つだけ (9.9)
「幼稚園からありがとうございました。高校でも頑張ってください」
これが幼馴染からの最後の言葉だろうか?あんなに一緒に過ごしてきたのに。苦笑いを溢しながら卒アルを閉じて、そう書かせてしまったことに胸が苦しくなる。
私が初めて彼に告白した人でありたかった。初めて恋をした人で、あわよくば初めて付き合った人。ずっと抑えてきた我儘はしかし、桜の蕾より早く膨れ上がって甘い匂いをいっぱいに撒き散らしていた。
忘れないだろう。私が息を切らして言葉を放った刹那、彼の顔に隠しきれない失望の色を見たことを。裏切られたと言わんばかりの、絶望すら感じる見開かれた瞳を。
————ごめん。
卒アルを押入れにしまおうとして、何かが落ちたのを見とめる。ノートを破って包んだような何か。思わず息を止めて広げると、ボタンがころんと手のひらに揺れた。
「第二ボタンは誰にもやらんけど、一個めはやる」
彼らしい文面。無駄に濃い筆圧で殴り書きされたそれは、顔を真っ赤にして怒っているようで。私はふはっと吹き出して、ぼろぼろと涙をこぼしたのだった。
胸の鼓動 (9.8)
国語のテスト返し。だが鼓動が鳴り止まないのは別の理由がある。しきりに前髪をとかしてみる。
「今日の放課後、時間ある?」
何度も繰り返したそのセリフをおまじないのように唱えて、しかしさらに震える手を強く握った。
ちらっと斜め前を見ると、顔色ひとつ変えずにテストを確認している少年がこちらに近づこうとしていた。慌てて解説を見ているふりをする。
「今回どう?」
「まあまあかな」
「でた、『まあまあ』。絶対いいやつだ。」
ニヤリ、とその笑みが今は苦しくて仕方がない。いいや今日こそ。少し唇を湿らせて口を開いて…
「あのさ——
「うーわお前98点とかキモっ」
他の男子が少年の肩を組んで冷やかす。ムッとして言い返す彼は離れていってしまった。体を熱くしていた勇気はみるみる萎んでしまう。
もう、やめようか。一生伝えずに…
「ごめん、さっきの何?」
バクリと心臓がひっくり返った。申し訳なさげにそばめられた眉毛。影を落とした顔を直視して息が止まる。
ほんと、そういうところだよ。
「今日の放課後、時間ある?」
踊るように (9.7)
踊るようにいちょうが舞っている
一瞬の彼の笑顔が浮かぶ
私は踊らされている
時を告げる (9.6)
————って言ったら、あいつ本当に走りに行ってさ」
くっくっと震える喉が見えるような笑い声。ぴったりとスマホを耳にくっつけて楽しそうな君の声を聞く。まるで君が隣にいるように耳が真っ赤になってしまうのだから困る。ニヤニヤしすぎて奥歯のあたりが引き攣ってきた。
「で、戻ってきたら案の定顔真っ赤でゼェゼェ息して…って聞いてるか?寝てねぇよな?」
「大丈夫。この状況が幸せすぎて録音しようか考えてた。」
ふにゃっとした顔を自分でつまんで真面目に答える。
「黒歴史確定じゃん絶対やめろよ。」
今度は思わずケラケラと笑ってしまった。あーあ。かわいい笑い声とかしーらない。
ふっと向こう側が静かになる。急にひんやりとした風が吹いた気がした。
「時間だな。」
「…うん。」
決めているわけでもなく、ただ寂しい風が時を告げる。甘くてくすぐったくてあったかい、柔らかな時間はひんやりする夜には耐えられないみたいだ。
私たちはもったいつけてゆっくり息を吸う。
「「おやすみ。」」
貝殻 (9.5)
運命の糸なんてか細くて頼りないもの、私にはいらないんだから。
唇を噛んで教室の前の方に座る男子の背中を睨みつける。その男子は何かあれば———風がちょっと吹いたとか、先生が教科書をめくるわずかな間だとか———うざったいほど斜め後ろの少女を視界に入れようとしていた。
私たち付き合ってるんでしょ?
悲痛な叫びは届かない。見ていられなくなって資料集に視線を落とす。平安時代の貴族の生活がまとめられたページ。ぐるりと床に並べられた貝殻を渦を描くようになぞる。
貝合わせ。この世で一つしかないつがいを見つける遊び。
彼は私のつがいなのだ。息を吸って、顔を合わせた瞬間私たちはカチリとはまったのだ。それをどうして離れようとするのか。
絵の中できゃらきゃらと笑う女房達は合わなかったらしい貝から手を離そうとしている。
ああ、あの子が彼の視線に気づいて微笑んでいる。
つがいの消えた片貝は、どこに行くというの?