退役軍人の朝は早い。
始まりはいつもこのポンコツコーヒーマシンから出る香り豊かなコーヒーだった。
並々注がれてしまってはミルクも砂糖も入れられない。
「全く、いい加減覚えてくれ」
コツン、とコーヒーマシンを指で弾くとそのブラックコーヒーを一口啜る。
顔を歪ませながらティーカップを窓辺におかれたテーブルへ運ぶと、ミルクを注いでかき混ぜる。
休日でもあるまい、妙に静かな外を眺めながら少し甘めなコーヒーをいただく。
ほっと一息ついたところで、彼の携帯がけたたましく震えた。
「もしも-」
「おいジャック!昨日から電話かけてるんだぞ!一体なんででないんだよ!!大変なんだ!助けてくれ!」
「お、おいどうしたんだリック」
「隣町のサンデロにあるアンディのバーにきてくれ!!すぐ!」
いつもメールしかよこさないはずのリックが、緊急事態と言わんばかりに電話をしてきたのだ。
彼は前の同僚であり友人である。
コーヒーを飲んだばかりなのに、そう思いつつもジャックは隣町まで車を走らせた。
彼はこの日を境に自宅へ戻れることは無くなった。
感染した人間達を相手に奮闘することになるとは、今はまだ知らない。
[コーヒーマシンの憂鬱]
大きく息を吸い込むと、少し冷たい空気が鼻を抜ける。
金木犀の香り、昨晩の大雨で少し湿った空気は秋晴れの清々しさには勝てなかった。
休日の早起きも悪くない、そう思わせてくれる。
スッキリと起きた体に感謝して洗面所へ向かう。
「ふぁ〜ねむ」
まだ重たい瞼を冷たい水で引き締め、つけ過ぎた歯磨き粉で口の中が泡だらけになってしまった。
あまりにも滑稽な姿に笑いが出るが、一人暮らしならではの秘密の姿だ。
「パジャマでいいや」
そういえば昨日買っておいたパン食べよ。
あ、今日コラボの日か‥やば
そう言ってお気に入りのゲームを起動する。
のんびり好きなことをする、こんな平和な日々は空を駆け巡る閃光によってあっけなく終わりを告げた。
[終焉の日、秋晴れ]
辛い記憶ほど、記憶がしっかり残る。
トラウマになってしまったら、一連の出来事をトリガーに思い出が暴走し始める。
「今日も、やるかぁ」
僕はそれを忘れないために、小さなタトゥーを体に入れる。
痛みはトラウマとなり、タトゥーを見るたびに思い出す
「忘れたくなっても忘れられないように」
血に染まって絶望の顔をした君たちのことは、覚えていたい
「この放課後という絵はどういった意味を持って描かれたのでしょうか?」
個展に取材に来た雑誌の記者は、一枚の絵を指さして私に問いかけた。
美術室の壁一面をマリーゴールドで埋め尽くしたその絵は、オレンジや赤が主張して、まるで燃え盛るようだった。
「あぁ、この絵ですか。1番の思い出なんですよね」
コンクールに出るという理由で借りていた美術室。
当時高校生の私は、高校生活の放課後を1人で過ごしていた。
大きな窓から入る夕日が綺麗で、グラウンドにはサッカー部と野球部。
そして手を繋いで帰るカップル。様々な青春の形を見て来たのだ。
「卒業前日ももちろんそこで過ごしてました。そしたら今まで見たことないくらいのオレンジのような赤のような綺麗な夕日が差し込んできたんです。
私にはそれが、一面のマリーゴールドの花畑に見えて」
ポジティブもネガティブも持ち合わせた、特別な「放課後」
「オリオンは本当に夜空が好きだね」
城の小窓から眺める夜空はどこか特別な感じがしていた。
涼しい夜風が頬を撫でて、眩く煌めいた星たちはまるで宝石のようだ。
「ベテルギウス、久しぶりだね」
視線の先にいたのは大きい木の枝に座る真っ白な人物だ。
小窓を開けるたびに遭遇し、最早当たり前かのようにそこにいた。
しかし、元々病弱なオリオンは体調が良くない日々が続き、生活のほとんどがベッドの上だった。
窓を開けて大好きな夜空を楽しむこともできず、ベテルギウスに会うのも久しぶりなのである。
「会えてよかったよ、顔色がいいみたいだ」
「僕も会いたかったよ」
静かに夜空を眺める。
この時間が何よりの幸せで、癒しとなっていた。
暗闇の中にいるというのに、どこかほのかに光って見えるベテルギウスは、いつからか僕にしか見えない存在なのではないかと思うようになった。
幻覚でも、たとえ幽霊でもそれでもいい。
それと、確信はないけれど最近感じるものがある
「ねぇベテルギウス」
「ん?」
「僕、もうすぐ星になれるかも」
ベテルギウスはそれが何かをすでに感じ取っていた。
大きい反応を見せるでもなく、ただオリオンに微笑みを見せた。
それは彼にとって、大丈夫と安心を与えるようなそんな暖かさだった。
「でもね、本当はやりたいことたくさんある」
「…もし、君の危機が近付くなら僕が力になってあげる
そのために、僕は君のそばにいるんだ」
この先も共に見よう。この満天の星たちを。