"秋風🍂"
秋風凛冽な朝。
郵便受けに届いた招待状に、もうそんな時期だったかと季節の巡りの早さを思う。
劇場のチケットと、数語だけの簡潔な手紙。
同封されたパンフレットに記された見知った名前を指先でそっとなぞった。
長年の夢を叶えたその果てで、きみが見た景色はどんなものだったのだろう。
かつて一人ぼっちで屋上フェンスの向こう側に立っていたきみは、今や沢山の仲間に囲まれて舞台の上に。
それでもその瞳には恐ろしいほどの飢えがへばりついて消えないままだ。
"先輩には分からないでしょうね"と泣いていたきみが、なぜ毎年招待状を送りつけてくるのか。
その理由は、ずっと分からないままにしておきたい。
"friends"
friends。
それなんてフェアリー?
まぁ半分くらいは冗談として。
知り合いはそれなりにいるけど、友達ってなぁ……。
学生の頃は生徒より先生方と話すことの方が多かったし、働き出してからは友達云々よりも同僚や知り合いって認識だし。
世間的には友達を人生に不可欠な素晴らしいものだと持ち上げる風潮があるけど、それって必要?って思ってしまう。
他人の友達論を否定はしないし、楽しそうだねとは思うけど、自分事として考えるとなんか遠い世界の話みたいというか。
物語の中の話ならいいけど、それをそのまま現実に持ってこられても面倒臭……困るよね。
学生の頃、先生方に"他のやつらに歩み寄れ、仲良くしろ、友達をつくれ"と散々言われたけど、要らないものは欲しがれないのですよ。
なーんて、冗談だよ。半分くらいはね。
"光と霧の狭間で"
光と霧の狭間……。
ブロッケン現象かなぁ。
背後から光が射すと、雲や霧に映った大きな影の周りに虹のような輪が出来る。
山岳地帯、特にドイツのブロッケン山でよく見られる現象。
ちなみにブロッケン山といえばヴァルプルギスの夜でも有名だよね。
大きな影を、欧米では妖怪として恐れ、日本では後光の差した阿弥陀如来と崇めていた。
"幽霊の正体見たり枯れ尾花"じゃないけど、人でも動物でも魔女でも妖怪でも神でも仏でもなんでも見方次第だよな。
"砂時計の音"
砂時計をクルンとひっくり返した。
机にベタリと頬をくっつけて、目を閉じ静かに耳を傾ける。
さーっという、細かな砂の流れる音。
途切れることなく続く、白く空っぽな時間に身を委ねること暫し。
音が止まったところでパチリと目を開けた。
最後に残った砂を、上部の木にトンッと触れて落とし切る。
ゆっくりと伸びをひとつ。
あともうちょっとだけ頑張るかぁ。
"消えた星図"
貴女と一緒ならば、あの空の大きなまっくらな孔の向こうにだって進んで構わなかったのに。
銀河鉄道から放り出され、もとの丘で目覚めたジョバンニのように、気付けば一人残された。
今も昔も、夜天に鏤む星の輝きは変わらない。
けれど、星のめぐりを追ってポラリスを見つけ出しても最早虚しいだけだ。
貴女のもとに辿り着くための星図はとうに消えてしまったのだから。