"夏の匂い"
氷水につけて冷やされているラムネ瓶。
栓をしているビー玉を落とすと、勢いよくあふれ出すシュワシュワした炭酸の泡とラムネの匂い。
瓶を傾けると、カランと鳴るビー玉。
昔、あのビー玉を取り出すことに執念を燃やす人がいたっけ。
こっそり金槌を持ち出して首尾よく割ったはいいものの、硝子の破片で手を切って血だらけになっていた。
どうしようとオロオロしていたから、とりあえず傷口を流水で洗い流して、止血して。
内緒だと涙目で訴えていたけど、当然バレて大目玉を食っていたなぁ。
後日、応急処置のお礼だと、手に入れたビー玉を見せてくれた。
日にかざしたビー玉は確かに綺麗だとは思ったけど、あの情熱は正直分からなかった。
"青く深く"
"カーテン"
春のやわらかな朧夜から、より青く深く。
夜の帳が下りた夏は鮮やかで、どこか騒々しい空気に満ちている。
夏至祭の篝火だったり、彩り豊かな花火や祭りのイメージが強いからかもしれないけど。
だからこそ、梔子や夕顔、月下美人など、そんな夜の青に染まらぬ純白の花びらが際立って印象深く感じられるんだろうなぁ。
-the curtain of night (夜の帳)
"夏の気配"
そういえば今年は梅シロップを漬けていなかったと気付き、梅の実を買ってきた。
梅と氷砂糖と、あとは金平糖も少しだけ。
氷砂糖だけで作るよりこっちの方が可愛いだろうと、いつも貴女はこっそり金平糖を忍ばせていたっけ。
金平糖が溶けきるまで、瓶を傾ける際に砂糖の小さな星を見つけては、にんまり笑っていた。
余った金平糖を口に放り込む。
カラコロと口の中で素朴な甘さを感じながら、瓶の蓋を固く閉めた。
あとは出来上がりを楽しみに。
窓の外、鮮やかな色の空に浮かぶ入道雲を見上げて、夏だなぁと思った。
"まだ見ぬ世界へ!"
徹夜明けでようやく眠れる、という時に、輝く笑顔の勧誘員からこんなことを言われたら、もう、ね。
逝ってらっしゃいと、崖から突き落としたくなるよね。ならない?そっか…。
周囲に丁度良い崖がないのが残念だ。
仕方無いから、淡々と、粛々と、丁寧に話を聞いてあげたら泣かれた。
なんで。
タオルと飲み物を渡してから、
長々と始まる身の上話に耳を傾け。
市役所か警察に相談するよう勧めて、
丁重にお帰りいただき。
ふと気づくと、携帯電話が振動していた。
休日はまだ見ぬ世界へ旅立っていった。
"最後の声"
機会はうかがうのではなく、巡らせるものだ。
駅のホームで、手持ち無沙汰に佇む男性に声をかける。
雑談の延長で、彼の家族について聞いた。
自慢気に見せてくれたのは、奥さんと、子供さん達と、幸せそうに笑う彼の姿が写った家族の写真。
それぞれに纏わる最近あった面白い出来事とやらを話半分に聞き流しながら、その子達にはあなたの瞳の色は受け継がれなかったのか、とぼんやり思った。
出張帰りだという男性は、毎朝鏡の中で見るのと同じ瞳の色をしている。
両手一杯のお土産の量に、きっと彼の奥さんと子供さん達は呆れつつも喜ぶのだろう。
家族が大事だと優しい瞳で語った彼に、内心で、
僕もだよ、と呟く。
あなたがあなたの家族を大切に思うように、僕も彼女が大切だった。
あなたがとっくの昔に忘れ去った彼女が、ずっとあの小さなアパートの部屋であなたを待っていたことなんて、あなたは知らないだろうね。
ましてや、彼女が少しずつ狂っていく様子を一番近くで見ていた存在がいたことなんか、知りもしなかっただろう。
ホームに滑り込んできた列車に、やれやれ、ようやく家に帰れるな、と彼は零した。
荷物を運ぶのを手伝い、お元気で、と別れを告げる。
助かったよ、と礼を言った彼は、君も気をつけて帰れよ、と笑って手を振った。
列車のドアが閉まる、その瞬間に。
そっと落とした最後の声は、
彼に、彼女の"あの人"に、届いただろうか。
死後の世界なんて信じちゃいない。
だから。
この現世で。
どうか、良い地獄を。