私が3DSというものを手にしたのはブームが下火も下火、何ならその次のswitchすら出てからしばらく経ってからというタイミングだった。と言うのも私は遺伝的に視力が悪くなりやすいタイプだったためだ。にもかかわらず寝転んで本を読んだりテレビを見たりしていたりしたせいで簡単に視力は悪化してしまった。そして晴れて眼鏡デビューとなったわけだが、そこで両親が心配したのはさらに視力が悪くなって頻繁に眼鏡を変えるような事態に陥ることだった。そんなわけで少なくとも成長期の間は小さな画面を見続けるような携帯ゲーム機は禁止と相成ったのだ。そしてまともにDSシリーズに触れないまま学生時代を過ごしてしまった。周りがすれ違い通信を楽しんでいる間、私はレトロテレビゲームに興じていた。そして令和の今、ようやく私も3DSとやらを手にしたわけだが、当然今の時代に、それも田舎寄りの場所で3DSを持ち歩いている人などほとんどいない。東京ゲームショウに3DSを持って行ったら今の時代でもちゃんとすれ違いできたという2~3年ほど前のSNSの投稿をうらやましく眺めるので精一杯である。一応現在でもサービスは継続しているとの話だが、果たして私の3DSのこの機能が活用される日は来るのだろうか。
『秋晴れ』
今日は朝から雲一つない快晴だ。多くの人からすれば絶好の体育祭日和となるのだろうが、運動が絶望的に苦手で嫌いな私からすれば最悪の天気である。これがまだ本来の日程通りであれば諦めもつくというものだが、延期に延期を重ねての今日であるというのがしんどさに拍車をかけている。あと1回、今日さえ雨で流れてしまえばすべての予備日が無くなったというのに。現実は無常である。開会の挨拶の時に「この素晴らしい秋晴れの下体育祭を無事に開催できることが大変喜ばしいことである。」と校長が語るくらいのいい天気だ。周囲からの明るい声が響きながら絶望的な私の1日はこうして幕を開けた。
『忘れたくても忘れられない』
嫌なことをされるとその記憶は忘れたくても忘れられないものになる。心の傷とはそういうものだ。実際、私は小さいころにひどいいじめを受けてきた。そのせいか、ある程度のことなら笑って流してしまうことができるようになった。そして自身が笑っていられている間に自分から行動を起こすことで解決してきた。そう、そのはずだった。
異変を感じたのは高校の時だ。その時も一部のクラスメイトからいじめを受けるようになった。相手が校内有数の問題児だったこともあってなかなかいじめは無くならなかった。そんなある日トイレから出られない日がやってきた。それまで無遅刻無欠席でやってきたのに初めて遅刻した。そこから時間ギリギリになる日が増えていった。心配になって受診した病院ではストレスだと言われた。つまり自分ではまだまだ大丈夫と考えていたが身体の方がSOSを出していたらしい。あの時のいじめられた記憶とどこかで身体が混同してしまっていたのだろう。結局薬を飲みながら登校し時間が解決するのを待つことになった。
そんな奴と同窓会ですれ違った。奴は相変わらずとち狂った行動をしていて当時と何ら変わっていないようだった。とはいえ下手に改心されて良い奴になられているよりはあの時のままでいてくれた方が心も痛まない。さて、忘れたくとも忘れられないこの恨み、どうやって晴らしてくれようか。
寒い冬の天気の悪い日のふと差す太陽の光が好きだ。重ね着をしてニット帽を被りネックウォーマーを着けて手袋までしてガチガチに防寒を固めても、雪が降ってたり風が吹いていたりすると寒くてしかたがない。そんな時雲の切れ間から太陽のやわらかい光が差し込んでくると救われた気分になる。地面にできた小さなスポットライトに照らされた場所を目指して歩みを進め一時の安らぎを得る。これだけで再び訪れる冬の寒空にも向かっていけるというものだ。
夏にはそのあまりの暑さから煩わしく感じる太陽であるが、冬には一転して救いの神のようになる。なんと四季とは面白いものだろうか。
今年もそろそろ冬がやってくる。
『高く高く』
私には嫌いな人がいる。最初のきっかけが何だったのかと尋ねられるともう思い出すことはできない。何か些細なことからだったような気もするし、決定的な何かがあったのかもしれない。もう長い時間が経って思い出せなくなってしまった。それだけ嫌いな人物でも自分の身の回りにいてお互いに立場を変えることができないのなら関わり続けなければならない。可能な限り相手とのかかわりを減らそうと努めてみるものの、どうしてもほんのわずかとはいえ相手との道が触れてしまうことがある。だからこそ、そのわずかな邂逅時の相手の一挙手一投足に苛立ちを覚えるし、忌避感は高く高く積みあがっていきもはや天井知らずになってしまった。ここまで来てしまったら、きっとどちらかがその人生の終わりを迎えるまで付かず離れずよりはもう少し遠い距離感を保ち続けていくことになるのだろう。早いところストレス耐性を高めるためのトレーニング装置とでも割り切ってやっていけるようになりたいものだ。
『鋭い眼差し』
目が怖いと私は良く言われる。どんな時でも鋭い眼差しをしていて怒っているように感じるとも。そのせいか私の周りには友人と呼べるような人はあまりいない。
遠くのものが見えにくくなったと初めて感じたのは数年前、寝転がって本を読んだりテレビを見ていたりしたツケが回ってきてしまった。慌てて眼科を受診したところすぐさま眼鏡を作ることを勧められた。眼鏡デビューをして数か月後、あっという間に合わなくなってしまった。成長期にありがちな急激な視力低下とのことだった。レンズを交換してもらったものの、一度落ち始めた視力は坂道を下るように下がり続けた。さすがに頻繁に交換するとレンズ代も馬鹿にならないため、どうしても見えなくなった時以外は交換せず、高校以降でのコンタクトデビューが決まった。
そう、私の眼差しが鋭くなってしまうのは目を細めなければ見えないことが多いからだ。そして元来柔和な顔つきではなく身体も大きいため、どうしても怖く見えてしまうのだろう。それをわかって仲良くしてくれる友人はいるが、いちいち会う人会う人に説明などしていられないため、歩けばまるでモーセ状態だ。もう慣れてしまったが、それでも早くコンタクトに移行したいという想いは日増しに募るばかりである。
私は感情を表に出すことがどちらかといえば苦手な方だ。もちろんうれしいことがあれば喜ぶし、悲しいことがあれば涙を流しもする。ただそれも、周囲に誰もいないときやいても親しい友人や家族などの一部の人の前だけという注釈がつくことがほとんどである。その心は言ってしまえば非常にシンプルである。恥ずかしいという感情が先行してしまう、ただそれだけである。そのせいで苦労することももちろんある。大勢の人の前で感想を聞かれたときに、もどかしい思いをするというのがその最たる例だ。だから私はいわゆる男泣きできる人物を尊敬する。子どものようだなんて思いはしない。自分の中でどうしても悔しいことや嬉しいことがあってその感情を表で表現している姿はかっこいいとさえ思う。今更性格を変えることができるとは思えないが、せめてもう少し感受性豊かであれるようにしたいとは思っている。あくまで今は思っているだけだが。