かっぱー

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9/18/2024, 5:51:01 PM

忘れられない景色がある。あの日、何もかもに疲れ切っていた私はちょうどホームにやってきていた電車に飛び乗った。闇雲に乗り継いでたどり着いたのは静かな田舎町だった。普通の人にとっては、何もなくて退屈な場所なのかもしれないが、都会の喧騒に疲れ切っていた私にはとても居心地の良い場所であった。ふらっと立ち寄った個人経営のお店で食事をとった後、珍しい観光客だと勘違いした店員さんにおすすめされたスポットに向かって歩き出した。
あまり運動してこなかった私にとってその道はなかなかにしんどいものだった。といっても昨日までの日々と比較したらなんということのものでもない。歩き始めてからどのくらいの時間が経っただろうか。徐々に暗くなっていく中、私は木々に空を覆われた道をスマホの明かりを頼りに歩いていた。さらに5分ほど歩いただろうか。一段高いところにたどり着いたのかいきなり視界が開けた。そして私の目に飛び込んできたのは空一面の星空だった。都会の明かりに邪魔されない夜景はそれはもう見事なものだった。
どのくらい立ち尽くしていただろうか。ふと我に返った私の心は晴れ晴れとしていた。「もう少し頑張ってみよう、そしてまたここに来よう。」そう思うことができた。あれから数年、今でも私はあの日の夜景を胸に日々を生きている。いつの日か私を救ってくれたあの場所で生きるために。

9/17/2024, 2:15:16 PM

ある日、私がひまわり畑の中を歩いているとボロボロの兵隊に出会った。彼は銃を構えようとしたが、力が入らなかったのかそのまま崩れ落ちてしまった。恐怖心を押し殺して慌てて駆け寄ると、かすれた声で水を求めていた。わずかに逡巡したが私は持っていた水袋を彼に渡した。水を飲みこちらに敵意がないと分かったのか、彼はポツリポツリと身の上を語ってくれた。
彼は戦場へ向かう途中だったそうだ。しかし、途中で死ぬことが恐ろしくなり、霧が出たのに乗じて行軍中の部隊から逃げ出したとのことだった。ただひたすらに逃げ続け、眠ることもできず、ふらふらになっていた時に、身を隠すことができそうなこのひまわり畑を見つけることができて幸運だったと。そこまで話して彼はふと疑問に思ったのか尋ねてきた。「ここはどこなのか。」と。私は少々逡巡したが事実を告げた。「そうか。」とつぶやいた彼の顔は絶望に沈んでいるように見えた。彼は私に感謝を述べた後、奥へと消えていった。私は止めなかった。いや止められなかった。数分後銃声が響いた。私は十字を切った。せめて花畑の中で命を絶った彼の死後が安らかなものであるように、と。

9/16/2024, 4:52:17 PM

忘れられない日、人生で初めて別れを経験したあの日。棺の中の彼女は美しかった。苦しむような最期ではなかったとはいえ、長い入院生活で痩せ衰えてしまっていたのに。そんな彼女を彩るがごとく花を添えた。一輪一輪丁寧に。棺の蓋が再び閉じられる。
そして、彼女は霊柩車に乗り込んだ。私も助手席に乗り込んだ。一秒でも長く彼女のそばにいることができるように。私たちを乗せた車が動き出した。ゆっくりと、しかし確実に終わりへと進んでいく。そんな中、ふと空を見上げたら灰色の雲が立ち込め始めていた。看板が見えた。いよいよ最後の曲がり角のようだ。止まってほしいと願いながらも、それは不可能だと冷静に指摘する私もどこかにいた。
沈黙の中、わずかに流れる音色に一つの雑音が交ざった。雨だ。一つ、二つとしずくが落ちてくるだけだったのが、瞬く間に土砂降りになった。気が付けば私も涙を流していた。別に泣かないことがどうとか思っていたわけではない。お別れは済ませた、そう言い聞かせていただけだった。だから空よありがとう。私の本心を思い出させてくれて。そしてともに涙を流してくれて。

9/15/2024, 4:28:43 PM

君からのLINEが来ることは二度とない。なぜなら人生で初めてブロックという機能を使ったのだから。
「そもそも仲が良かったのか?」と聞かれると疑問が残る。ただ通っていた塾が同じで、志望校も同じで、通学路が同じだっただけの存在なのだから。それでも珍しい同姓だということで会話だけはしていた。とはいえ遅かれ早かれだったとも思う。だって合わないなと思うことや苛立ちを覚えることが定期的にあったのだから。
「指摘すれば良かったのに。」とは言わないでほしい。だって私は日和見主義なのだから。自分から争いの種をまくなんてよほどのことがない限りしようとは思わない。だから嬉しかった。君から「絶交しよう。」と言ってきてくれたことが。これで君と私は赤の他人、言葉にするだけでどれだけ楽になったことか。
思うところがないわけではない。LINEの友達がそんなに多いわけではない私からすれば少しだけ残念な気持ちもある。でもそれ以上に関係を修復した後の精神的負担の方が大きい、それは紛れもない事実だ。だからさようなら、私にとって他人なキミ。

9/14/2024, 4:44:20 PM

私は今日も歌う。たった一人のことを思って歌う。彼は勇者だった。少なくとも私たちの村にとっては。
あの日私たちの村は魔物に襲われた。戦い方を知らないような人たちにとっては決して敵わないような奴だった。そんな時に彼がいたのは偶然だ。中央から調査のために派遣されてきた彼はいくつかの傷を作りながらもこの村を守り抜いた。そんな彼を村を挙げてもてなすことは当然のことだろう。しかし、彼は断った。「傷が癒えるまでの間の最低限の寝床があればいい。」と。ある時私は尋ねた。「なぜ。」と。彼は答えた。「自分は罰を受けなければならない人間なのだ。」と。それ以上は聞けなかった。
そんな彼が満身創痍で運ばれてきたのは旅立って2ヶ月ほど経った日のことだった。彼はこの村に向かっていた商人が魔物に襲われたところを救ったのだという。しかし、相手も強く追い返しはしたものの、立ち上がることすらできないほどの怪我を負ってしまっていた。数日後必死の手当てもむなしく亡くなってしまった。うなされながらも彼が遺した言葉は「少しは償えただろうか。」だった。
彼が何をし、何を思ってその命を落とすまで戦っていたのかはわからない。きっと彼を恨む人たちもどこかにはいるのだろう。それでも彼は私たちにとっては正しく勇者だった。だから今日も私は彼のことを歌う。この命が燃え尽きるまで。

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