[人と関わるのはつらい。もう人と関わりたくない]
人と関わるのが苦手な私は中学生の頃ずっとそれを思い、自分の殻にこもってもいた。関わりたくなすぎるからこれからもずっと自分の殻にこもっていようと思っても思っていた。しかし、もうそれは中学校を卒業すると同時になくなった。
中学校の卒業式の日、私は誰とも話さないだろうと思っていた。それに私は誰とも話さないつもりでいた。しかし、
[おはよう!]
クラスの子が話しかけてきた。その子は私の友達だったが人と関わるのがつらいと思ったときから縁をきった子だった。また、私はつらいと思った日から学校をずっと休んでいたため、その子と話すのも会うのも久しぶりだった。私は[面倒くさいな]と思いながらもせっかく話しかけてくれたのに無視するのも悪いなと思い、話に参加しようとした。話に参加するとその子は優しかった。苦手な私に対して話すスピードを合わせたり、言葉を変えたりするなどの対応をして、話が嫌にならないようにしてくれた。話しているとき、本当に後悔した。私が苦手だと分かって関わってくれていたのにそう思ってくれてないと思い、その子との縁を切ってしまった。このような思いやってくれる人を失わないためにも人と関わるのが苦手だからと言って関わらないのをこれで最後にして、人としっかり向き合おうと思った。
高校生になって人が苦手だと分かってくれる友達ができた。後悔しないためにも友達になってくれた子とはほとんど毎日関わっている。
その日は特別な日だった。この日を忘れることはないぐらい特別だった。
私とその友達はアニメについて話ていた。アニメの話をしている間は特別なことはなかったが、その話が終わった後友達がある発言をした。その発言で特別な日になったのだ。友達はアニメの話が終わると
[私たちもう1年以上仲がいいからもうお互い呼ぶすてで呼んでよびあわない?]
と笑顔でいった。言った直後私のまわりがぱっと明るくなった気がした。初めて呼びすてができる仲になって飛び跳ねぐらい嬉しかったのだ。あまりの嬉しさに実際に飛び跳ねていたのかもしれない。私が言葉を失っていると友達が不安そうに
[ダメかな?]
と言った。意識を取り戻した私は慌てて
[いいよ。呼びすてでよぼう。]
と目を輝かせながら言った。友達の不安そうな顔は一瞬で和らいだ。その直後私は友達の名前を呼びすてで呼び、ありがとうと伝えた。友達はどうようしていたが私は上にある空を見やげ満足していた。友達を呼びすてで呼んでみたかったし、今までやりたかったそのことをできた友達に感謝した。
ポツポツと雨が降った。ポツポツとしか降っていないため、私は傘を持ってこないことにした。しかし、いざ外に出ると傘をさしている人がほとんどだった。私は傘をさしていない人がほとんどだと思っていたので傘をさしている人の多さにびっくりした。びっくりしたと同時に傘は非常に使うものだということを実感した。
これは小学校に入学する前に起こった話である。その日は春休みだったため、趣味である読書をしていた。午後の5時までは春休みを生活しているうえでこれと言った変化はなかった。しかし5時を過ぎるとある変化が起こる。いつも5時に帰ってくるはずの母が帰ってこないということだ。私は何かあったのではないかと心配した。しかしその心配は不要だった。母は6時に帰ってきた。手には何か持っていた。そして帰ってからすぐ、
[はい、これ欲しかったでしょ]
と言い私に欲しかった本を渡した。遅く帰ってきた理由がわかると同時にとても嬉しい気持ちになった。嬉しくなっていると母が
[これから小学校頑張ってね。]
と声をかけてくれた。それを知った瞬間私母の優しさに包まれたと感じていた。母は私を応援するために時間とお金を使ってくれたのだ。そのことを今でも覚えているため今もその本は家にある。
最近疲れて何に対してもやる気が出ない。昨日の私はその感情ややる気に左右されて、勉強を全くしなかった。
疲れが取れずやる気のないまま朝になった。今日の朝も昨日と同じように勉強しないまま朝を過ぎようとしていた。しかし勉強しないと自分が困ることを思い出し、感情を捨てることを決意し、勉強を始めた。この決意と行動こそが昨日と今日の変化である。この成長をなかったものにしないようにこれからも感情に左右されず勉強を頑張りたいと思った。