最近、すぐ疲れる。毎日外に出ている私は夏に外に出ると体力が大量に削られると感じる。そう感じているからすぐ疲れると思う。冬だったらこんなこと起こらないかもしれないと考えると夏って本当に嫌だなと思う。
[最近、学校の勉強頑張ってて偉いね!]
と母に言われる。しかし私はこの言葉にピンと来ない。たしかに私は椅子に座ってテキストを見て文字を書いている。しかしそれは学校に関係ない内容のテキストであり、学校の勉強はしていないのだ。一見学校の勉強をしているように見えるが全くしていない、これが隠された真実だ。
自分の声が届いて欲しい。これは毎日思うことだ。私は人とのコミュニケーションが苦手で人に上手く言葉を伝えられない。だから毎日自分の気持ちが相手に伝わらない。自分の気持ちを伝えたいからいつか自分の気持ちが伝わる日が来るといいなと思う。
これは中3の時の話だ。私は普通に授業を受けていた。初めの方は何も異変が起きなく好調に授業を受けていたが授業の後半の方になると
[お前なんか死んでしまえ!]
と自分に対する悪口が聞こえた。そんなことを授業中言う人はいない思うからさっきの悪口を聞き間違えだとも思い授業に戻ろうとすると
[お前は授業を受ける価値がない!]
とまた悪口が聞こえた。そしてこれをおきに悪口がどんどん加速していった。私はその悪口を聞くのがすごくしんどく耐えれなかった。誰かに助けを求めたかった。しかし体をうつむけるほどのしんどさだったので声を上げる元気がなかった。だから先生が気づいてくれることにかけることにした。そう思ったがうつむけだと授業中に寝ていると勘違いされ、先生はこの環境に対して何も助けてくれなく絶対絶命の場面になると思っていた。しかしそんな場面にはならなく先生は
[大丈夫?]
と心配してくれた。私が大丈夫ではないと答えると先生は私を保健室まで連れて行ってくれた。これだけでもありがたい対応だったがさらにその先生は保健室に行かせるだけではなく、行っても良くならなかった私を家に早く帰らせてくれる対応もしてくれた。帰ってから病院に行くとその声は幻聴だということが分かり、通い続けて今はもうすっかり治っている。その先生がいなかったらストレスがたまり治るのが遅くなっていたかもしれないと考えるとその先生にはとても感謝している。
[願い事するなら何にする?]
昨日、友達とそんな話をしていた。昨日が七夕だったので自然と話はその話題になっていた。私はそのお題についての答えがすぐ思いついた。だからすぐ答えを伝えようとしたが友達が
[私はやっぱりお金が欲しいな。]
とすぐさま答えた。友達も私と同じですぐ答えが思いついたらしい。私はその答えを聞いた瞬間びっくりした。なぜなら私はそこまでお金が欲しくなく、よくどちらが欲しいで比べられる時間の方が欲しいからだ。自分の好きなことに使う時間が足りないから七夕の願いも時間のことにしようとしていた。人の価値感は違うものだと改めて実感した。