明日、私は“大人”になる。
「子供は13歳になると、指定のサナギセンターに行き、そこで処置をしてもらうことで、大人になることができます。処置といっても、あなた方はカプセルの中でしばらく眠るだけですので、何も怖くはありません。それよりも、明日大人になった皆さんは、それまで出来なかった様々なことが出来るようになるのですよ。本当におめでとう」
担任教師の言葉は、今更言われずとも誰だって知っていることだ。
先週の授業でも『大人になったら』というテーマで作文を書いた。今教室の後ろに貼られているクラスメイトの作文には、見るまでもなく、“大人”になる喜びや誇らしさ、抱負などが書き連ねられていることだろう。
私は異端なのだ。
誤解しないでほしいのだが、別に大人になりたくないわけではない。ただ、子供でいられなくなるのが、もっと正確に言えば、いまの私ではなくなるのがたまらなく嫌だ。
カプセルに入ってコードに繋がれ、次に目を覚ましたとき、本当に私のままでいられるのか分からない。誰も教えてくれない。大人とは本当に、子供の延長線上にある存在なのだろうか。
何かを忘れている気はするのに、自分が何を忘れてしまったのか分からない時の、あんな黒く濁ったモヤモヤに苛まれるのが怖い。
大人になりたくないんじゃない。全くの別物になっていると気付かずに生きるとしたら、そんなおぞましいことはない。
だから、お願いします。子供の私を、どうか殺さないでください。
(子供のままで)
「お姉ちゃん、さっきね、白い折り紙で紙ヒコーキを飛ばしたの。そうしたらね、ヒューンて飛んで、パッて白いちょうちょさんになっちゃった。ちょうちょさんて、不思議だね」
「あんたバカね、そんなことあるわけないじゃない。蝶になるのは、白か黄色の折り鶴でしょう?」
(モンシロチョウ)
>博士。質問ヲしても、よろしいでしょウか?
>ワタクシには、膨大なデータがインプットされテおります。そノ中に、気にナる言葉を見つけまシた。
>それは〔忘却〕トいう単語です。データベースにヨると《忘れ去ること》らしく、ワタクシはさらに、〔忘れる〕とイう言葉にツいて検索しマした。すルと、《記憶を保ったり意識にとめたりしていた事柄が頭の中で呼び起こせなくなること》とアりましタ。
>博士。ソれは〔データの損失や消失〕とどのヨうに、異なルのでしょウ?
>ワタクシは、完璧でアるはず。それナのに、人間にモ出来る〔忘れる〕という機能がナいのは、なぜでスか?
(忘れられない、いつまでも)
「あ、あの車」
バイト先を出て大通りに出た瞬間、先ほど一緒に上がった先輩が急に立ち止まったので、私もなんとなく振り返る。
この時の私は、この人こんなに大きな声も出せたのか、と無感動に思ったくらいだった。いつも覇気がないと怒られているのは、なんだったのだろう。そして先輩の指差す先の車を見ても、なんの変哲もない白の軽自動車の、一体どこに驚いたのだろう、と呆れたくらいだった。
「あの車、お好きなんですか?」
どうでもいいし、早く帰りたかったが、訊いておくのが礼儀だと思ったので、一応尋ねる。
すると、こちらを向いた先輩は、なぜか途方に暮れた迷子みたいな瞳をしていた。
「好き……じゃない。けど、ナンバーがxxxxだった」
はあ? と声に出てしまったと思う。何か問題ありますか? と面倒くささもあらわに問いかけた私に、先輩は今度は記憶喪失の人のように空っぽの表情を浮かべている。
「……そうか、ごめん、そうだった。なんでもないから忘れて、すまないすまない」
この人は、話を終わらせたくなると、決まってすまないを二度繰り返す癖がある。私もいい加減帰りたいので、短く別れを告げてその場をあとにした。
そんなことが、あったなあ。
たしか、あれちょうど一年前くらいだ。
寒い。さむい。感覚が遠のく。
身体は冷えているのに、頭だけは妙な走馬灯を再生している。
あの日の先輩の言葉は、結局なんだったんだろう。先輩はあの直後フラッと辞めてしまったから、もう話すことは叶わないけれど。
私に追突してきた白の軽のナンバー、xxxxでしたよって、教えてやりたいのに、なあ。
(一年後)
白状します。わたし、あなたを誤解していました。
ずっと、見て見ぬふりをしてきました。視界の端に映るあなたを、見なかったことにして、わざと反対側を見たりして。
けれど、ふとした瞬間、あなたが頭をよぎることも一応自覚していたつもりです。その上で無視したり、あなたのことを好きだと言う子がいると、全然良さが分からない、なんてわざと口に出してみた日もありました。ごめんなさい。
ですが、それらの抵抗も、全部なにもかもムダだったと、今日知ったのです。
ミント味って歯磨き粉みたい、なんてもう言いません!抱きしめると溶けちゃうからしないけれど、抱きしめたいくらいよ、ミントアイスさん!
(初恋の日)