髪を切りたいわ、と微笑むかげろうのごとき貴女。髪を切ってどうなさるの? と私が訊ねると、夜の色をした瞳が三日月の形に細められた。
──どうってあなた。この髪を切ってね、それを土に埋めるの。少しくらいなら平気だから、そんなお顔をなさらないで。そうして、新しい世界でもあなたが寂しくないように、白百合の花として芽を出すのよ。いっとう好きだと仰っていたものね。ね、あなたが切って下さるでしょう?
明日、嫁ぐ娘の遺言のような言の葉たちが、まるで五月雨みたいな優しさで降り注ぐ。
もちろんよ、と答える私は、きっと家に着いたら、雷鳴轟く夕立のように泣くのだろう。それであなたを引き止められるのなら、こんな世界押し流すほど泣いてあげる。
さようなら。かつて、皆に祝福されてはにかむ花嫁の白無垢を見て、死に装束だとこぼした貴女。
(明日世界がなくなるとしたら、何を願おう)
いつか誕生日に欲しいものはあるかと訪ねたとき、お調子者の君らしく、たまたまその時満月だったというだけの理由で、言いましたね。
──月に行きたい。
それがきっかけのひとつだと素直に認めるのは正直悔しい気もするけれど、とにかく私は今天文台で働いています。
その場の思いつきと気分で生きていた君は、ある日旅番組を見て気が向いたからと言って、私を放ってひとり旅などに出かけ、結果、旅先の不幸でずっと遠くに行ってしまいました。そしてなんの面白みもないプレゼントを用意していた私は、それを捨てることも出来ず、今も職場のデスクに置いています。
君のことだから、思い付きで宇宙のどこかに漂っているんじゃないかと、気が気じゃありません。来世では、もう少し地に足のついたひととして生きることをオススメします。
年を取らなくなって11度目の誕生日、おめでとう。
(君と出逢ってから私は)
あのね、今わたしたちの上にある、あの空の話なのだけど、あれは本当は一枚の大きな硝子と絵の具だったって話を聞いたとき、どう思った?
わたしがそれを知ったのは、ずっと小さいころだったわ。だからかしら、とても驚いちゃって。それからなんだか悲しくなって、泣いてしまったっけ。
あなたは、あれを反対側から見たことはある?
あら、どうしたの? そんなに目を丸くして。
……ごめんなさいね、変なことを言ったわ。あと、ずるいようだけれど、このお話は忘れてちょうだい。
ほんとうに綺麗な青空。ねえ、そんな顔をしないで。だってそっちのほうが、きっとずうっと素敵よ。
(大地に寝転び雲が流れる)
拝啓 〇〇様
ご無沙汰しております。いかがお過ごしですか。
突然ですが、どうか、この気持ちが執念や憎しみとは違うものであれと祈っています。
その上で、あの日のあなたの悪意すらない言葉が、どこまでも心を抉って、悲しさに打ちのめされた経験があったからこそ、今、わたしはこうして文章を書くのをやめられずにいるのも事実です。
心ない言葉に、心からの感謝を。
親愛なるあなたに、今この瞬間、幸多からんことを切に願っております。
敬具
変わってるよね、という言葉に関しては、もはや悪口と感じるセンサーに引っかからなくなって久しい。
優しい肌触り、敏感肌にも優しい、髪に優しい。
それらの謳い文句が並ぶ商品は、みなお財布にだけは優しくない。
変わってるよね、とまた云われた。
わざと流行遅れの、棚の端に追いやられた商品ばかりのカゴを見下ろす。一瞬こちらを窺う、店員のまなざし。
肌に優しくなくていい、髪に優しくなくていい、周囲の誰も彼も別に優しくしなくていい。私を理解しなくていい。
お財布に優しいことを第一に考えているだけです。だから、セール品に身を包み、特売品を買うばかりの人間のことを、変わっているとか、可哀想とか売れ残りなんて、陳腐な謳い文句でくくらないでください。
(優しくしないで)
※フィクションですのでお気遣いなく。