学生時代は、夏がくることを心待ちにしていた。
いや、正確には、夏休みがくることを心待ちにしていた。
バイトでいつもより稼いだり、海に行ったりキャンプしたり、祭りに行ったり、休み終わりの宿題ラストスパートもいい思い出だ。
田舎だったから、うるさいくらい蝉は鳴いてたし日差しはダイレクトにあたるし、かと思えば大空のキャンパスが雲に埋め尽くされてゲリラ豪雨に見まわれたり。
でも今は、夏はただくそ暑いだけの、夏休みもない社会人。
社会の歯車となって、飲食業だからお盆休みもなく馬車馬のように働くだけ。
上京したら、気がついたら蝉の声もとんと聞かなくなったし、大空はビル群の隙間から心ばかしみえるのだが、照り返しで暑さだけは一丁前、もちろんゲリラ豪雨もある。
昔はあんなに楽しみだったはずなのに、どうしてこうも夏のありかたが変わったのかと、せっかくの単休、突然の雨に傘を忘れて途方にくれた昼過ぎの俺だった。
@ma_su0v0
【夏】
ねぇ、パラレルワールド、って知ってる?
今ここにいる私とは別の、複数存在していると言われている、もしもの世界。
ここではないどこかの私は、もしかしたら大金持ちかもしれない。
ここではないどこかの私は、もしかしたら戦争に出兵しているかもしれない。
静かにぽたぽたと流れていく点滴液をぼんやりと眺めながら、私はそんなことを考えていた。
今の私は、全く身体が動かない。ただ息をしているだけ。生きているんじゃなく、息をしているだけ。
ここではないどこかの私、楽しんでいる? 私の変わりに輝いて生きてね。
@ma_su0v0
【ここではないどこか】
「お仕事いってらっしゃーい」
「ママー、いってらっしゃーい」
俺は、3歳になる息子を抱っこして、玄関で妻に手をふった。
新婚ならば、いってきますのちゅー、とかする所だろうが、子どももいる中結婚して7年もすれば、そんなこともしなくなる。
君は、いってきます、と、素っ気ない挨拶を返して、いつも通り仕事へと向かった。
扉の向こうは雨模様。ガチャリと鍵を閉めて行った。
「今日は、パパが休みだから、保育園のお迎えもパパが行くからな」
「ママはー?」
「ママはお仕事ー」
息子の小さな足に靴を履かせながら、そんな父と子の会話をしていた。
それから、2年が経った。
もう息子も5歳で幼稚園児である。
「ママはー?」
「ママどこ行ったのかなー?」
君と最後に会った日は、雨模様だった。
俺は、君は普通に仕事へと向かっただけかと思っていたのに。
俺の心の鍵も、あの日からしっかりとかかってしまっている。
だが、息子の前でそんな顔もしていられない。
「帰ってこないかなー?」
「帰ってこないかなー?」
俺の言葉を真似して息子も呟いた。
梅雨時期の空模様は、もちろん今日も雨だった。
@ma_su0v0
【君と最後に会った日】
君は繊細な花だから、他の外来種と一緒にさせることはできない。
綺麗な儚い花だから、他と交わらないようにしなければ。
毎日愛と言う名の水をあげましょう。
毎日好きだよ愛してるよと声をかけてあげましょう。
栄養のあるご飯を毎日与えて、綺麗に土の管理もして、大切に育てていきましょう。
「ご主人様、私も外の世界をみてみたい」
「それはいけないよ、君は繊細な花だからね」
汚れないように、枯れないように、知らせないように、手放さないように。
俺は今日も、俺だけの繊細な花を育てていこう。
@ma_su0v0
【繊細な花】
一年後の私へ、
この手紙を読めているということは、きっと病気に打ち勝てたんだね。
余命半年といきなり言われて、びっくりしちゃったよね。
この手紙は、遺書と一緒の袋に入れているけれど、これを読んでいるのは、一年後の私かな?
それとも、親族の誰かかな?
私だったらいいけれど、親族がこれを読んでいると思うと恥ずかしいな。
一年後の私がこれを読んでいるなら、遺書はもう不要だから、ビリビリに破っちゃってね!
もし親族だったら、遺体と一緒にこの手紙を入れるか、間に合わなかったら手紙を捨てて下さい。あっても成仏できないから。
ーーそこまで読んで、俺は手紙を家に持ち帰った。
この手紙を読んでいるのは、一年後のお前でも、お前の親族でもない。
この手紙を書いた後に知り合って付きあった、俺なのだから、燃やす理由も捨てる理由もない。
結婚目前で先立たれてしまったので、親族ではないが、俺は手紙をお前の写真の隣にそえてやって笑って見せる。
「お前が最期に言ってた手紙、見つけちゃったぞ~?」
写真のお前が照れ臭そうに笑って見えた。
一年後、俺もこの世にいるかもわからないくらい死を身近に感じた。
「俺も一年後の俺に手紙書こうかな……」
@ma_su0v0
【1年後】