笑ってやがる、なんで、笑ってるんだ。
目の前には、大きな姿見が一つ。
同じ服装で同じ体勢のをしている自分がいる。
しかし、一つだけ違うこと。
鏡の中の自分は、皮肉そうに笑っている。
嘲笑っているかのように。
そんな顔でみるんじゃねぇ。
俺は、思い切り鏡を殴ったが、割れることもなく、同じように拳を突き出している、笑った自分がいるだけだった。
いや、自分が笑っている自覚がないだけで、他の人には、俺が笑っているように見えているのか……?
俺は、ゆっくりと拳を戻す。
自分にはわからない自分。鏡の中の自分。
これが他人に見られている俺なのか。
俺は、鏡の中の自分のように、自分自身を嘲笑ってやった。
【鏡の中の自分】
眠りにつく前に、母は私に本を読み聞かせてくれた。
時には昔話、時には世界の童話、時には今話題の新作の本。
でも、いつしか、小学生になる前くらいに、その日課の眠りにつく前の読み聞かせがなくなった。
あれから、20年。
秋の夜は長い。
眠れないなぁ……
私は、いつもは携帯電話を手に、ベッドの中に入るが、読書の秋とも言うし、と、紙の本を持ち出し、ベッドに入る。
本には色んな世界がある。
小さい頃、眠りにつく前にやっていたことを久々にやってみる。
さすがに声に出して読み上げるのは恥ずかしいが、それ以外はあの時と同じ。
秋の夜は、静かに更けていった。
【眠りにつく前に】
私は、とにかく、しにたがりだった。
生きていても、楽しいことはない。
息をするにも、身体のどこかの機能は永遠に働き続けているし。存在するにも、何かしらの税金を払い続けなければならない。
今月も家賃が払えないや。
身体もあちこち痛いけど病院もいけないや。
疲れたよ、もういっそ、逝って楽になりたい。
こんな生き地獄から解放されたい。
未練はないし、やり直すこともしなくていい。
今流行りの、異世界転生とかリープものとかじゃなくて、本当に消えたい。
そう思って、勤め先の高層ビルの窓から飛び降りた。飛び降りて、途中から意識がなくなった。
なのに、私は目が醒めた。
あれ? 私、しんだんじゃないの?
あたりは薄暗く、何やら液体に満たされていた。目の前には太めの紐が見てとれた。
一度深呼吸をしようとするが、息をしている感覚はない。でも、口はパクパク動かせる。
ここは、どこ?
もしや、と、私は嫌な言葉が脳裏をよぎる。
--輪廻転生
人は、何度も生死を繰り返し、生まれ変わるという意味。
つまり、一度人として生まれてしまったら、永遠に人として生まれかわるという意味……?
頭が割れるように痛い。心臓も痛い。
私の次の地獄が始まった。
「おめでとう、女の子ですよ!」
私の地獄は、永遠に。
【永遠に】
人からの目を気にしないで、恨みや妬みが一切ない、争いのない、愛に満ちた世界--それが私の理想郷だった。
しかし、やはり理想は理想な訳で。
私は、空を見上げていた。
秋の雨は、この前降った雨よりも冷たかった。
それなのに、身体の下の液体は、生暖かくて。
痛いなぁ……。
動きの悪い身体をなんとか腕一本だけ動かし、痛い左脇腹を触ってみる。
その手を自分の視界に入る所まで持ってきた。
赤い、鮮血。
「なんだ、まだ生きてるの?」
雨の音か耳なりかわからない中、そんな女の声が聞こえた。
狭くなる視界の中に、見知った女--私の妻が映る。
「あなたとの生活は疲れたの。綺麗事ばっかりで。別れてもくれないし。だから……」
妻の手には、包丁があった。
その切っ先は、赤く濡れている。
私の理想郷は、綺麗事を並べただけのものだったのだろうか。
私は、鉛のように重い腕をおろす。
妻は、両手で包丁を構え、仰向けの私の上にまたがった。
「しんで」
愛する妻のその声を後に、私の意識はなくなった。
【理想郷】
大きな家を持ち、ほしいものは何でも手に入れられる。
衣食住に関しては、何も不自由がない俺に、決定的に欠けていることは、感情だ。
今一番欲しいものは、感情だ。
何を買っても、観ても、喜びもせず、楽しめもせず、感動もしない。
何をされても、傷つかれても、怒りもせず、悲しみもせず、妬みもしない。
へー、他の人はこれが嬉しいんだ、とか、こんなことで怒ったりするんだ、とか。
俺には感情がなく、周りの人もきっと俺のことをロボットだと思っているだろう。
感情なんていらないと言う人もいるけれど、ないはないで、共感さえできないものなのだ。
金や物じゃなくて、感性豊かな感情をどうして神様は与えてくれなかったのだろう。
恨みはしないが、俺は神様に愛想が尽きた。
今一番欲しい感情が、もう貰えないなら、いっそ、終わりにしよう、と。
【今一番欲しいもの】
※【幸せとは】の続き←1月のお題