誰かが言った、愛があればなんでもできる、と。
そんな綺麗事がまかり通るものなのだろうか。
鈍く光る刃を片手に私は彼の亡骸を見下ろしていた。
私は彼を愛していた。愛おしくて仕方がなかった。確かに、愛があればなんでもできるのかもしれない。人を殺めることだって。
私が大好きだった彼氏が浮気をしていたのを発覚したのは、一月前のことだった。
奪った女が憎くて仕方がなく、始末をした。
美人でも可愛くもないじゃない。こんな女のどこに惚れたの?
事切れた女の顔を足蹴にしてやる私。
その現場を大好きな彼氏に見られた。
信じられないといった絶望的な表情で見られた。
私は愛があったからこそ、この愛を踏みにじられないように片付けただけなのに。
彼は奇声を発して私の前から逃げようとする。
……どうして逃げるの?
私は彼の亡骸さえも愛している。
愛があればなんでもできたけれど、やっていいことと悪いことの区別もつかずに、なんでもやってしまう。
優しく包み込むように、息が途絶えた彼を抱き締めた。ずしりと重い、温もりはない。
「はぁ、やっちゃったなぁ」なんだか笑えてくる「ずっと一緒がいいなぁ、愛してるから、ね」
私は片手で彼の血にそまった刃を握りしめ、首につきつけ引き裂いた。
【愛があればなんでもできる?】
やって後悔するのと、やらずに後悔するほう、どっちがいいのだろう。
俺は悩んでいた。
マンネリ化してきている、この傍らの彼女と別れようか、別れまいか、と。
別れてから、別れなきゃよかった、と思うのか、別れずにだらだらと交際を続けて後悔するのか、どちらがいいのか、と。
どちらに転んでも、たぶん後悔はついてくると思う。
別れてすぐに新しい彼女が見つかれば、後悔はせずにすむ。でも、そんなのは望みが薄すぎる。
別れずに交際を続けて結婚や子どもができたら、後悔はしないかもしれない。でも、そんな先の事は今の俺には考えられない。
「ねぇ、じーっと見つめてなに?」
サラサラなストレートヘアーを揺らし、俺の顔を少し上目遣いで見つめる彼女。
別れる別れないじゃなくて、マンネリ化の解消方法を見つけるかぁ。
「別に、可愛いなぁ、って思って」
彼女は顔を紅潮させて、そっぽを向くのであった。
たぶん、この選択が、俺も彼女も後悔しない最善手なのだと思った。
【後悔】
仕事を辞めた。
大型連休が終わったと同時に、仕事に戻ったがやる気が出ず、そもそも仕事自体に嫌気もさしていたので、仕事を辞めた。
これが所謂、五月病、ってやつなのかもしれない。
新卒で入って、たった一ヶ月程度で辞めてしまった。親にはまだ話せていない。
いつも通りにお弁当を渡され、いつも通り家を出る。でも、仕事はしていないので職場はない。
俺はため息をつきながら公園のベンチに腰かけた。働かなくてもお腹は減る。渡されたお弁当を昼時にもぐもぐと食べ始める。
昼時と言っても、もうすぐ二時。小さいお子様達が野原を元気に駆け回っていた。
俺にもあんな時期があっただろうに、親に申し訳ない。
走り回る子どもの手には、タンポポが握りしめられていた。綿毛で、走る度に風のなびくように散っていく。
あんな自由に風にのってどこかへ飛んでしまえたら。
--いや、待てよ。
今の俺は、会社を辞めたニート。
どこへにも転職できる綿毛の時期ではないか。
マイナスに考えないで、学校でみんなの流れで就職先を選んでしまったが、今は自分の好きな仕事につけるではないか。
俺はベンチから立ち上がる。膝にのせていたおにぎりが漫画のように転がった。
そうだ、俺は綿毛だ。風に身をまかせよう。
春風はもう夏の空気を含んで温かく強く俺を後押しした。目の前を軽々と綿毛が舞っていた。
【風に身をまかせ】
今から何十年か前にね、流行り病があって。
みんな家から出られないことがあったの。
買い物にも行けない、遊びにも行けない、学校や仕事にも行けない。
今では考えられないでしょう?
だから、家で何かできることを皆で探したの。
あなたならどうする?
見たかった映画やドラマや漫画をみたり、筋トレをしたり、物を作ってみたり、家で色々な趣味をすることを『おうち時間』って言ったんだよ。
え? ママは何をしてたのかって?
ママは自分を見つめ直してたかな、おうち時間でやりたいことはなんだろう、って。
結局、時間がなくてやりたいこともやれない、って言ってる人もいるけれど、いざおうち時間ができても、やりたいことが見つからない、なにをしていいかわからない人って、たくさんいたんだ。
またあんな日々がくるのは嫌だけど、そうなった時におうち時間でやりたいことを今のうちから考えておくのも、わるくないかもね。
【おうち時間でやりたいこと】
世間でいう大型連休が終わると、我が子の大型連休が始まる。我が娘は接客業で、世間様が休んでいる時が繁忙期。今、その繁忙期が終わり、居間で昼寝をしているようだ。
起きていると何かとお喋りばかりで、家事を手伝い素振りもなく、これで結婚できるのか、と心配してしまう二十代半ばの女性。
しかし無防備に寝ている姿は、遊び疲れて寝てしまった子どもの頃のあのままだ。
あっという間に大人になってしまった。子どもの頃の愛らしさがどんどん薄れてしまっていく。子どものままでいてほしかったけれども、そんなのは無理な話で。
でも、いつになっても、我が子は我が子。親は大きくなっても親なのであって。
「ほら、そんな所で寝てたら風邪ひくわよ、掃除の邪魔だから部屋に戻りなさい」
眠気まなこで起き上がり、自室にとぼとぼ戻っていく。
この娘にも子どもができるのだろうか? 早く孫の顔はみたいけれども、不安でもある私であった。
【子供のままで】