あたりは真っ暗、暗闇だった。
そんな中に忽然と、遠くの方で光が揺らめいていたら、みんなはどうする。
怖くて寂しくて何もわからない黒の世界に、ぼんやりと青白く光るものや、ゆらゆらと赤い光が見えたら、その不安を打ち消してもらうために、近づいてしまうだろう?
私は虫である。
明るいものに飛び付くことがある。
店前の青白い光にアタックして、全身に高圧電流を流されてその場に倒れた仲間をみた。
キャンプファイヤーの明るさに魅了されて、体が燃えて消えた仲間をみた。
たとえ間違いだったとしても、私たち虫の『さが』である。
行かなきゃよかった、と後悔しても、そういう性質なのだから仕方がない。
最期に見えた光は、闇の中の一時の希望の光で、痛いや熱いや苦しいよりも、これが綺麗で残酷な光なのだな、と思った。
思ったと同時に、意識がなくなった。
【たとえ間違いだったとしても】
冬場は窓ガラスに結露のためか、やけに水滴がついていたはずなのに、最近はその雫も見なくなった。
春から夏場は梅雨の時期も重なり、傘から滴る雨粒を鬱陶しく憎たらしく、その雫を見ていた。
気がつけば夏も終わり秋、朝露なんて言葉がある白露や寒露の時期になっていた。
窓ガラスについた雫も、傘から落ちる雫も、草花に降りた雫も、同じ水滴なのにそれぞれの味がある。
今、頬を伝ったこの雫、これにはどんな味があるだろう。
【雫】
君がいれば、もう何もいらない、なんて言葉があるけれども、あれは物の例えだとしても、飛躍しすぎではないか。
君がいたって、熱烈ラブラブ期間中ならば、恋は盲目でその時は確かに、君がいれば、他はいらなくなるかもしれない。
でも、その恋は永遠ですか? その魔法が解けることがあるってことは、視野に入ってますか?
もし恋人ではなく、我が子だとしても、いつまでも我が子は幼子のままだと思ってますか? いつか一人立ちすることを考えてますか?
ある特定の食べ物だけあれば、何もいらない、というのは、他の食べ物があってもそれに手が延びる、ということであって。
人の場合も同じように使ってみるけれど、人には気持ちが存在するもので、何もいらない、なんて固定はしないほうが身のためだと思うのだ。
【何もいらない】
高校三年生の時に、10年後の自分に手紙を書けという授業があった。
何十年後の自分には興味はないけれど、ちょっと近い自分なら、そんなに価値観も違わないだろうから、案外すらすらと書くことができた。
10年後の私は、今の彼氏と仲良く続いていますか?
子どもはできましたか?
仕事はうまくいってますか?
家は買えましたか?
もしも未来を見れるなら、手紙に書かずに自分の目で見たいけれど、現実的ではないので、私は10年後の私に手紙をしたためた。
【もしも未来を見れるなら】
※【10年後の私から届いた手紙】の続編
どうやら、赤ちゃんに転生したらしい。
色彩的な意味では、いろんな色がぼんやりみえるのだけれど、感情的な意味では、無色の世界。
それが転生して初めて思ったことだ。
快と不快しかない世界。
色でいえば、白と黒しかない世界。
他の感情の色はなかった。
快の白色と不快の黒色。
どちらにも染め上げられそうだけど、色付けるのが難しい無色の自分の世界。
これから生きていけば、色んな色に出会うだろうし、色んな色に変わってしまうだろう。
でも、この純な無色の世界を、もう少し堪能していたいと思った。
転生前の記憶が薄れていく、無色の世界に埋もれていった。
【無色の世界】