人の感じる美しさは様々だ。
集合体をみて美しいと言う人がいれば、それを気持ち悪いと言う人もいる。
同系色のもので固めたイラストを美しいと言う人がいれば、それを何か物足りないと言う人もいる。
共通して美しいものと言えば、広大な自然美と圧巻の建築物と聞いたことがある。
確かに、だんだん白んでいき、神々しく徐々にあらわれる初日の出は美しく縁起の良いものとされる。
古代の技術で建てられた建築物は、その美しさや素晴らしさで文化遺産となることも多い。広く愛されているからこそ世界遺産となるのだ。
木の葉が風にそよぎ、サラサラと擦れる葉の隙間から、陽の光が差し込み、地面に不規則に降り注ぐその様は、美しいものだろう。
ライトアップされ、桜と共に映える何百前に建てられたお城やお社、自然美の効果も相まっているが、建築物だけでもさぞ美しいものだろう。
これが美しいものです、と一括りにすることは難しいものだろうが、少なくともこの二種類は美しいと言っても良いと思う。
【美しい】
最近いろんな小説で「異世界」をうたうものが多くある。
みんな現実世界が嫌なのだろうか、だから異世界を作り出して、そちらに逃げ出したいのだろうか。
確かにこの世界は残酷だ。
努力は報われるなんて言葉があるけれど、報われない努力のほうが圧倒的に多い。
遅くまで勉強して努力をしたのに、アラームにも気づかず寝坊してテストを受けられず、努力が無駄になったり、ね。
親のえごで生まれた子ども、それが今度は制度で生め生め言われる世界だ。
真面目にいきているのに、正直者がバカをみる詐欺師が高笑いをする世界だ。
こんなこの世界、逃げたしたくもなるよね。
幸せや嬉しいことよりも、明らかに辛いことや悲しいことのほうが多い。
ただ、こんなこともよく聞く『さいごは良いことしか思い出せない』と。
この世界から消える時は、この世界の良いことしか思い出せないようになるのだろうか。
こればかりは、最期にしかわからないことである。私の最期か、世界の最期か。
【この世界は】
姉ちゃんがしんだ。まだ14歳だったのに。
メンタルが弱っていて、最近はずっと寝たきりだったけれど。
でも、元気だった時の姉ちゃんも知っている。
明るくてハキハキしてて、小学校の時は頼れる自慢の姉ちゃんだった。
運動会の時に転んで怪我をした時は、生徒席から走って助けにきて一緒に救護エリアについてきてくれたり。面倒見の良い優しい姉ちゃんだった。
変わったのは中学に上がって部活を始めてから。その持ち前のリーダーシップが仇となって目をつけられていじめられていたらしい。
どうして姉ちゃんがそんなくだらない理由でターゲットにされなきゃ行けなかったんだ。
一緒にかけっこして遊んでた時も、終わりの見えない他愛のない会話をしていた時も、ずーっと姉ちゃんは笑っていた。
棺の中の姉ちゃんも、笑っていた。
どうして、笑ってられるんだ。
もうそっちには僕らはいないよ? なのに、こっちよりもそっちの方がよかったの?
どうして、置いていってしまったの。こっちの僕らはちっとも笑顔になんかなれないよ……。
【どうして】
※昨日のお題【夢をみてたい】の後日
カーテンも開けず薄暗い部屋の中、少女はベッドの中に潜り込んでいる。
時間は10時、普通の少女くらいの年代であれば学校に行っている時間である。
ぼんやりと、カーテンの隙間からこぼれている一筋の光を眺めていた。
すると、目を見開いたままの状態で、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。頬を伝い、枕にシミがつく。
--動けない。
少女も好きでベッドに横たわっている訳ではないようだ。
本当ならみんなと一緒に学校にだって行きたい、こんな何もできない自分に嫌気がさしている様子。
目をつむってストンと眠れればどれだけ楽なのだろう、少女は更にぼろぼろと泣き始めた。
--夢をみてたい。
こんな現実で無力な自分を投げ出して、夢の世界へと行きたい。
夢の世界なら走ることも空を飛ぶことも話をすることも、なんでもできる。昔できたことがまたできるようになる。
あぁそうだ、ずーっと眠り続けることもできる。
--もう疲れたよ。
少女はやっとの思いで、一筋の光を生み出していたカーテンを開ける。
物凄く眩しくて涙を流して腫れている目が潰れそうになった。
--ずっと眠っていて、夢をみてたい。
少女は窓を開けた。雨も雪も降っておらず、乾いた冬の空気。濡れた頬には痛い寒さだった。
少女は窓枠に足をかける。
それからはあっという間だった。
--おやすみなさい。
【夢をみてたい】
大切な人と一緒にいる時、仕事も学校もなく休みでいる時、冬場のコタツや布団の中にいる時。
きっと誰しも一度くらい、ずっとこのままでいたい、と思ったことがあるだろう。
でも実際、ずっとこのままでいていいのだろうか、と同時に罪悪感もうまれるはずだ。
私は職を失った。
貯めていたお金で毎日遊んでいた。
仕事をして、休みの時に豪遊していた時は、このまま仕事なんてせずずっと遊んでいたい、と思っていたはずなのに。
いざ仕事を辞めて遊んで過ごしていると、空しさだけが残っていた。
仕事中に、ほっと一休みの15時のおやつと、休みの最中にだらけて食べる15時のおやつ。
同じ時間のはずなのに、何故か美味しさが違うのと似ている。
ずっとこのまま、が、できるはずなのに、ずっとこのまま、をしていては、何かがだめになってしまう。
理想であって、現実でそれをしてしまっては、メリハリがなくなり堕落してしまうと、人はきっとどこかで思うのだろう。
【ずっとこのまま】