『ありがとう』
現地での言葉はわからないけれど、どうか伝わって。
身ぶり表情。手を合わせる。お辞儀。
習慣が違うのはわかっている。
それでも。
『そっと伝えたい』
そっと伝えたい。
君の肩にカマキリが乗っていること。
いい写真になりそうだから、カメラを構えて。
『未来の記憶』
「未来の記憶をお売りしますよ」
と仮面の人が言った。
「それは有益なんでしょうね」
尋ねると、仮面の人は首をかしげた。
「それは人によります」
ともあれ、買ってみることにした。
後で話のネタになると思えば、金額はそう高く感じなかった。
記憶の種なるものをひとつまみし、口へ放り投げる。ほんの少し苦味を感じた。
肝心の記憶といえば、平凡なものだった。病院らしきベッドで横たわる自分。しわくちゃな手を握りしめている誰か。遠くなっていく意識。
意識が戻ってきて、仮面の人に感想を言った。特に予想外の面白いところはなかったと。
「未来の記憶は推理小説でいえば、犯人がわかるところを読むようなこと。恋愛映画でいえば、二人が結ばれているシーンを観るようなもの。普通の人は最期のシーンになるんでしょうねぇ」
人生は物語のようなものではない。劇的な人生でなかったことを、むしろ良かったと思うべきなのだろう。
平凡な人生の幕引きに少し安堵した。
『あの夢の続きを』
前に見た夢の場所。
その場所にそっくりなところにたどり着いた。
道路標識、踏切、蔦が生い茂った家、遠くの山に落ちる日。
あの夢と同じなら、眩しい夕日の先に君がいるはず。
今度こそ声をかけるために走り出した。
『あたたかいね』
「ありがとう」
ふいな言葉に目頭が熱くなる。
当たり前のことをしただけだ。感謝をされるほどではない。
だけれども、少しは役に立っていることをしているという自覚が心の底から湧いて出た。
社会の歯車としての自分に、心が宿ったようだった。