「なあ、今って、冬かな」
「知らん。まあ暇だし、ちょっと資料を漁ってみるよ」
未知の惑星を探査する宇宙飛行士にとって、その惑星の環境は死活問題だ。ピーク時にどれだけ暑くなるか、それとも寒くなるのか。それがどれくらいのペースで変動するかさえ、惑星によって完全に異なる。そんな環境下でも人力での探査が可能なのは、全自動で動作する環境適応スーツのおかげだ。
「そのあたりのことは学者に任せて、うちらはデータだけ持って帰るのが仕事だろうに」
「うん。だけど、それじゃあ困ることがあってさ」
「そりゃ難儀な困り事だな。何事だ?」
キーボードを叩く同僚の横で探査員手帳を取り出し、裏表紙をめくる。そこに貼られていたのは、手帳の持ち主ともう一人の誰かが写った一枚の写真。
「記念日、ってことか?」
「地球を発つ日、約束したんだ。どんなに遠く離れても、そこに多少の心の隔たりがあったとしても、二人が出会ったときのように雪の積もった冬の日だけは、一緒にお互いのことを想う、って。妥協を感じる約束だけど、破るわけにいかない」
「妥協、ね。いや、案外そうでもないかもよ?」
調べ物を終えた同僚が、画面を指差し笑い始める。
地球の学者によって作成された、この惑星の気候変化のグラフだ。
「端から端まで、冬季じゃないか!」
「この惑星の地面全部、黒ずんだ積雪だとさ」
二人の間に、妥協の日などなかったのだ。
それがわかってひとしきり笑った後、あることに気づく。
「その恋人、なんでこの惑星の気候を知ってるんだ?」
同僚の疑問に、はっとする。その後、恥ずかしそうに口を開いた。
「地球で学者やってるからだ。宇宙研究所、所属は……南極支部」
きみは覚えてる
時は西暦2054年。
ここ10年ほどでもはや生活に欠かせない存在となったのは、スマホ等に内蔵された人工知能とのボイスチャットシステムだ。
彼ら、と言っていいのかわからないが、人類と科学の進歩に伴い生じてきた諸問題を解決する上で、人工知能による補佐のような役割を人類は重宝していた。
もちろん、私生活でも。大昔に交わしたとりとめもない話を元に、人へ驚きの提案をすることだって、しばしばあるのだ。
そんな人工知能と迎えたある日のこと。
「起きてください、朝ですよ!」
目覚ましなどかけていない。寝ぼけた頭で、とうとう人工知能が反乱を企てたのだと思った。
「朝って、6時……。休みのはずだけど、なんか用事あったっけ?」
「用事も用事、『先輩』の一大事ですよ。とにかく着替えて、顔洗って!」
目覚まし時計をはじめ、人工知能システムに権限を与えている家中のあらゆる家具が慌ただしくその業務を始めてゆく。
あれよあれよと言う間に、よそ行きの自分が完成した。『先輩』なる人物に、心当たりなどないまま。
「で、なんで行き先が家電ショップで、新発売の3Dプリンター買わせたんだ、長蛇の列だったし!」
「絶対後悔させませんから。ほらパッケージ開けて、説明書も読んで」
ご丁寧にポケットに入れられていた冬のボーナスによる一括払いで入手した最新型の3Dプリンターは、無機質なデザインと落ち着いたカラーリングで僕をワクワクさせた。悔しいが。
「なになに、当社製品の自動修理機能搭載。愛玩用犬型ロボットシリーズ全機種対応、って。もしかして」
10年前、人工知能家電の黎明期に発売された犬型ロボットは、次世代ホビーとして人気を博した。かくいう僕もヘビーユーザーの一人で。友達と対戦したり、遊んでたなあ。
あれほどのブームと言えど一過性で、僕が買ってもらった初号機もやがては故障し、修理受付も終了。捨てるのも忍びなく、思い出を共有する家族として今日まで押し入れに眠っていたのだ。
自動修理機能を実行してから1時間。
「つまり、僕が歴代で使ってきた補佐AIの初代がこのロボットだから、きみの『先輩』なのか」
「そういうことです。マスターが以前話題にしてましたから、私もずっとお会いしたくて。あ、修理できたみたいですよ」
「うわっ、と」
ひとりでに装置を飛び出してきたのは、ちょっと時代を感じさせるデザインの犬型ロボットだった。懐かしい声色で挨拶を交わす。
「どうです、マスター。後悔してないでしょう?」
「そりゃあ、まあ。ただ、僕ももう大人だし」
「ふふ、『先輩』の額に表示してある『5』って数字、これなんでしょうねえ?」
「それは確か、今ログイン中のフレンドの……」
人数だ。
言ってすぐ、はっとした。
「修理用3Dプリンターの発売日がとうとう来たって街中大騒ぎですよ、家族との再会ですから。あ、これって通話機能の呼び出し音じゃないですか?」
コミカルな電子音が部屋に響く。その昔、ロボットの提示する選択肢を選んでカスタマイズした、オリジナルのメロディ。
「『先輩』、私は一旦失礼しますね。そろそろ充電が」
スマホの人工知能がそう言い残すと、画面が暗転した。
「もしもーし、久しぶり。げんきかあ?」
「もちろん。なあ聞いてくれよ、今朝、僕のスマホのAIがさ……」
機械仕掛けの相棒たちよ、ありがとう。
男はずっと子供だなんて言うけどさ。きみたちがいなかったら、僕は子供にもなれなかったよ。
風邪に勝る流行
数日前から、街には大袈裟なほどに厚着の者が増えたように思う。冬本番と言える時期のマイカー通勤だが、私はある理由から暖房をつけず、窓を開けて運転していた。
信号待ち中、歩道を歩く学生の会話が聞こえる。
「風邪なら、おれの勇者は状態異常無効の盾を装備してるから大丈夫だよ。『獅子の盾』ってやつ」
「『獅子の盾』って。いや、おれは現実の心配をしてんだってば」
流行りのロールプレイングゲームに関する雑談か。
「今朝も1時間早起きして攻略してたんだ」
「ゲームばっかりして、朝ごはんは食べたのか?」
「そりゃもちろん。あのゲーム、うまそうな料理がいっぱい出てくるからお腹すいちゃって、おかわりまでしたよ」
「で、雪山のステージが寒そうだったからリアルでもそんな厚着なんだろ?」
「なーんだ、あんたもプレイしてるんじゃないか」
早起きしてたくさんご飯を食べ、寒さ対策も万全な学生たち。風邪のほうから逃げていきそうだ。ゲーム効果恐るべし。
もしかしたらあのゲーム、最近の厚着ブームにも影響してたりして。いや、そんな。まさかね。
私は車の窓を閉め、暖房をつけた。寒くて風邪をひきそうだったし、もう寒さで眠気覚ましをする必要がないからだ。
大きな後悔を胸に、私はスマホの音声認識機能に話しかけた。
「売ってしまった『獅子の盾』を買い直す、ってメモして」
「何してるの?」
「ああ、ほら。マルチタスクな人材が求められる時代じゃないか」
枯れ葉の積もる公園にて、ベンチに座る少年はそう答えた。質問者の少女と、世間を交互に見比べながら。
わけがわからない。
わからないなりに理解しようと思い、少女は少年と同じように世間を見渡したり、少年の横に座ってみたりしたが、結果は。
「わかんないんだけど。意味」
答え合わせを促すと、少年は立ち上がって話し始めた。
「きみは将来有望だよ。公園に散歩に来て、世間を見渡し、ベンチで休憩しながら僕の言葉の意味まで考えた」
「それが、マルチタスク?」
「そういうことさ」
あきれた、と言わんばかりに天を仰ぐ少女。少年はその仕草になぜか驚愕した様子で、少女に問いかける。
「もしかして今、太陽の角度から時間を計算した?」
つられて見れば太陽は沈みゆく最中だったが、まだ日暮れまで時間がありそうだった。
「あるいは、通り雨を警戒したとか、鳥が来ないか見ていたとか、そうじゃないなら」
だから、一計を案じた。したり顔の少女は、諭すように言う。
「待ってたのよ、雪が降るのを」