結婚した。子供が生まれた。
仕事でもさまざまなプロジェクトを成功させ、皆から慕われている自覚がある。
誰が見ても私の人生は『幸せ』で『完璧』に見えるだろう。
だが。
『お前を許さない』
『お前は人殺しだ』
自分自身を責め続ける声は途切れることはない。
自責と後悔の念が今も胸の奥を焦がし続けている。
若かりし頃の私が犯した、誰も知らない罪。
良い事が起こるたびにあの人の顔がちらつく。
あの日と何一つ、変わらぬ姿で。
透き通る幹、紅く色づく葉。
ガラスでできた大樹───『世界樹』に向かって、彼は今日も問いかける。
我が主よ、何故私をお創りになったのですか。
彼は世界樹の管理人。
しかし、この世界は遥か昔に創造主が定めた終わりに向かって、今日も静かに進んでいる。
世界樹のあるこの場所には誰も入ってこられない。
管理人の仕事などあってないようなものだ。
独りきりの世界というものは思いのほか退屈である。
彼にできることは、葉をつけては落とすことを繰り返す樹を、ただ見守ることだけ。
ここには何もない。彼と樹以外、何も───
「うわっ!?な、なんだここ……」
不意に誰かの声がした。
(にん、げん?)
初めて直接見る『人間』に、彼の好奇心が疼く。
気がつけば、人間に向かって歩き始めていた。
これも、主が仕組んだことなのだろうか?
そうであってもなくてもいいと思った。
そして彼は、混乱した様子の人間に話しかけた。
「こんにちは。君は人間だね、どこから来たの?」
目が覚めた時、いつもより部屋が明るく見えた。
なんとなく、今日はいいことありそうだなと思った。
「おはよう」
「おはようご、ざ……」
挨拶が途切れる。聞き慣れた声に振り向いた僕の目に映ったのはいつも通りの彼女、の、肘(ひじ)。
肘、である。
特別な部位ではない。夏場は多くの人がその部分を外気に晒すだろう。だが、この人の肘は出会ってこのかた見たことがなかったのだ。だって、この人はいつも決まって長袖を─────
「え、半袖?」
最高気温38度の日でも長袖で登校するこの人が?
「なんだ、そんなに珍しいか?」
当の本人はけろっとのたまう。
「いや、だってずっと長袖着てたじゃないですか…僕てっきり何かこだわりがあるのかと」
「はは、そんなのもないさ。君の方こそ今日の天気予報を見ていないのか?最高気温40度だそうだぞ、流石の私も半袖でなければ倒れてしまうよ」
「はぁ、そうですか……」
僕の中で「頑なに半袖を着ない人」から「40度に達する日でないと半袖を着ない人」に認識が改められた。
まぁ、あまり変わったようには思えないが。
「それよりさっきの君の顔、傑作だったぞ。あんな顔初めて見たなぁ、カメラを構えていなかったのを痛烈に後悔するよ」
「んなタイミングよく構えてるカメラあります!?って、そんなことはどうでもいいんですよ!僕の顔って!?どんな顔してたんですか一体!」
「教えないよーだ」
「ちょっ!待ってくださいー!」
『……君の瞳は、綺麗だな』
『青が、光で揺らめいて…まるで海みたいに綺麗だ』
嘘つき。
黒くて、暗くて、重くて、海なんて、全然綺麗じゃない。
苦しい。冷たい。痛い。
海も、貴方も、嘘つき。
あぁ、でも。
(私の瞳も、とっくに綺麗じゃなくなってたのかもなぁ……)